不戦の誓いのカタチ | 主体性こそ集大成-Beyond the Borders-

不戦の誓いのカタチ

今日という日は、8月15日なので、いつもより深く考えさせられます。

いろいろな人がいろいろな立場でいろいろな方法で考えを発信、表明している。

さきほど道を歩いていたら、街宣車が走っていて、ふとその上を見ると九段下と書かれた道路標識が目に入りました。

九段下と言えば、靖国神社。

今日はいつもより多くの人が参拝に訪れていることでしょう。先祖が眠っている人もいるだろうし、そうでない人もいる。皆「不戦の誓い」「平和を考える」などの目的で参拝されていることでしょう。

僕も靖国神社に行ったことがあります。10年も前ですが。

大学時代。大学時代に、自分なりにものすごくたくさんのことを考えたんです。
特に将来のこと。その時、毎年行うべき「不戦の誓い」「平和を考え直す」ということをカタチにするとしたら、僕個人としては将来に渡って毎年靖国神社への参拝は行うことはできないと考えて「行かない」ことにしました。

でも僕もなにも行動していないわけではなく、卒業後その思いを胸に、毎年8月6日8時15分には広島に、時間が許せば、8月9日11時2分には長崎を訪問することにしています。これなら将来に渡って必ず行える自信があると考えたのです。

どのような方法であれ、その目的は「不戦の誓い」「平和への思い」であることは日本国民全員が世界市民全員が変わらない目的であると考えているので、それぞれがそれぞれの立場を考え、自身が考える方法で行えばよいと僕は思います。



「戦争」の反対って「平和」なんですよね。「平和」の反対って「戦争」。本当にそうなのだろうか。この対が、本当最近までしっくりこなかったんです。よくわからないけど、あれ、本当かなって。最近のご時世、特に憲法の文脈で、よく「戦争」「戦争」という言葉を目に耳にするので、しっくりくるようになったんです。初めてその対の言葉である「平和」という言葉をしっかり定義しようと考えたので。


実は、さきほど故郷である北海道新聞の社説の一文を読んで泣きました。そしてそれを社員に目撃されました...


<もしも日本が再武装するような事態になったら/たとい最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと「戦争絶対反対」を叫び続け、叫び通しておくれ>
 長崎の原爆で被爆したのちも献身的な救護活動を行った医学者で随筆家の永井隆博士が、2人の子に残した言葉である。妻はすでに被爆死していた。博士は1951年、43歳で死去した。


また、映画『山本五十六』で居酒屋の女将の言葉を思い出しました。


「戦争は、勝っても負けても、人は死ぬのよ」


8月15日、「戦争そして平和とは何か」を考え、「不戦の誓い」「平和への思い」を高野勇斗個人として、ここにカタチしてみました。

2014年8月15日