10月14日ですか…
去年の今頃は、あと一ヶ月だと慌てていましたね。
何が一ヶ月かって?
推薦入試ですよ。推薦入試まであと一ヶ月だったんです。私にかかればどうという事はありませんでしたがね!
あっはっはっはっ
しかし誰かに勉強、教えてあげたいものです。
いや、勉強できない人をバカにしてるんじゃなくて、単純に、教える事で、自分が「物事を教えるという事が自分に向いているのかそうでないか」がわかるじゃないですか。
塾はどこも入れてくれないし、面接すらさせてもらえない。
さすがに超ムズイのは教えられんが(笑)
ちなみに言っておきますが、私は真剣です。真剣に教師になりたいと思っている。いや、教師にならなくてはいけない。
私はふと思い出したんです。
私が中学・高校時代で受けた憎しみ、苦しみ、痛み、そう言ったものを生かし、生徒たちの憎しみ、苦しみ、痛みなどの感情を自分が受け止めたい
のだ。
自分で言うのもアレだが、私は、チャランポランな学生生活をしてはいない…つもり。
私は町中の不良みたいな奴を見て時々思う。
私の傍にも、病んでいる人がいるけど、どうして真面目な人ほど苦しみ、不真面目な奴ほど苦しまない。
もちろんその不良みたいな人がいつも不真面目とは言わないが、所詮人間なんて第一印象、一目見て不真面目だと思われたら、ずっと不真面目だと思われることも少なくない。
でも
「不真面目な奴ほど苦しまなくて、ズルい。どうしてノートを書いている俺より、ノートを書かない人たちの方が、学内試験とかでもあんまり悪い点数取らないし、これって不条理じゃない?」
という疑問を大人たちに投げかけると、大人たちは決まってこういう
「将来的には苦労する事になるの。そういう人は…。」
だが、
俺はその意見には、いささか疑問を覚える。
本当にチャランポランな奴ほど、将来的に就職できなかったりするか?
確かにそういう人もいるだろう。でも、どこで知識を身に付けたかは知らないが、意外と世渡り上手だったりする。
でも俺はそういう奴らへの反感から、意固地になってしまう。
そう、もうおわかりいただけただろう。私が教師になる、いや、ならなくてはいけないのは…
チャランポランである奴を粛清し、更生し、周囲との温度差を無くし、どんな人ともつるめる人を作る必要があるからだ。
こんな大層な事を言った後で申し訳ないのだが、今日の「教育の方法・技術論」という授業で、1つ、大事な事を学んだ。
「教育にも限界がある。いくら教育が良くても、周囲の環境が良くなくては、子どもは良くならない。」
今、「教育再生計画」が謳われている。しかし本当に大事なのは環境である。
でも、もちろん教師にも、周囲の環境を良くする必要はあるため、無関係という訳ではない。
家庭環境が乱れてしまっている子どもを救うのが大変なのは、そういう訳でもあるのだ。
確かに俺は意固地野郎で、生意気で、憎悪に満ち溢れた執念深い人間かもしれないけど、
そんな人だからできるかもしれないと、自負しているんだ。やりますよ、止めたってね。
私は生まれて数年で色々な事を経験した。この憎悪、このまま封印しておくのは勿体ない。
俺は良き教育者になりたい。そして、今まで俺をバカにしてきた奴、全てに復讐すると誓った。
みていろ…このむかつき、苛立ち、憎悪を力に変え、今立ち上がれ!誇り高きAよ!
こう書かれればネガティブに見えるかもしれない。でも、俺はただ、この人生を、何かに捧げないのは勿体ないと思うんだ。
やっぱりさ、人生ってのは…一度って、よく言うじゃん?
これって、寂しい人間なのか?違うよな…別に、人それぞれだもんな。