思い出を羊毛フェルトで彩る「記念日クラフト marie」

思い出を羊毛フェルトで彩る「記念日クラフト marie」

一人一人のお客様の想いやご希望をお伺いし
額の中に写真と羊毛フェルトなどオリジナルクラフトで想いを構成。
記念日や思い出を形に残して、笑顔をお届けしています。
作品を中心に日々の思いも綴っています。

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今日は広島平和記念日

そして

母校の甲子園の夏がつい先程、終わりました。

 

野球が好きだった伯父の話

私の気持ちの整理として

また書きます。

 

私には3人の伯父がいます。

母の兄が3人いて

それぞれ独身だったので

我が家は伯父達と共に生活をしてきました。

2014年1月 三男 他界

2018年3月 次男 他界

そして7月の終わり 長男が他界しました。

 

それぞれの介護や看取りを母と共にしてきたのですが

3人の中で一番話さず、打ち解ける時間がほぼなかった長男さん

彼の介護は長く、ツラかった。

 

2013年9月

風邪を引いても絶対に病院に行かなかった伯父が

目が見えなくなり、近所の眼科に一人で行きました。

でも状況が悪すぎて、いよいよダメだと覚悟したのか

今後の生活の全てを母に任せ

大学病院に連れて行ってほしいと言ってきました。

これが長男さんの本格的な介護がスタート。

 

あまり人と交わるのが好きではない伯父は

自室に引きこもり

朝から煙草、お酒やコーヒーを飲みながら読書やTVを眺め

自由気ままな生活のツケが回り

糖尿病網膜症でした。

 

病院はもちろんのこと、銀行、市役所などなど

時と場合によって母と一緒に行きましたが

私だけで付き添うことも多々ありました。

近所の内科だけ受診するようになった頃

病院の付き添いを母へバトンタッチし

母が困っている時だけ助けたり

愚痴を聞いたりアドバイスする方へ

役割を変化させてきました。

 

最後の頃は自宅で転倒して救急搬送し入院。

血液データが悪いとのことで精査しても

なかなか原因が見つからず

入退院を繰り返し

7月の半ば、やっと胃癌が見つかりました。

全身状態は悪く、治療をする状況ではないため

在宅を検討するよう医師から話がありましたが

痴呆が進み、理解力が乏しい事もあり

自宅で母一人で介護は困難だと判断し

転院先を探してもらっている最中に他界。

 

通院の付き添いをしていた頃

親でもないし、かわいがられた記憶もない人に

自分の時間がどんどん削られ

付き添い中に話しかけても盛り上がらないどころか

返事もほとんど返ってこない。

そして「ありがとう」を一度も言われなかった事で

介護が嫌になりました。

伯父のことが嫌いだったけど、更に大嫌いになりました。

付き添いを母へバトンタッチなんてきれいに書いたけど

本心は自分の人生を優先させました。

介護が嫌で嫌でたまらなかった。

せめて「ありがとう」が一回でも聞けていたら…

 

最後の入院時

私は幼い娘を理由に面会に行きませんでした。

でも夫に背中を押され

亡くなる二日前に面会に行きました。

寝ていましたが、起こすと話は出来たけど

もう私の事はすっかり忘れてて

質問をしてもほぼ返答がない状況。

その時にきっとこれが最後なんだろうなと思ったし

そうなりました。

 

亡くなった日、病院から連絡を受けて

休日の夫に娘を任せ、私は母と病院へ行きました。

私達が到着した時にはすでに息を引き取っていました。

担当看護師から聞いた話によると

穏やかに最期の時を迎えたようです。

 

彼の人生を改めて考えて、何が楽しかったのか?

もっと聞けばよかったかなとも思いましたが

聞いたところできっと深い返事はなかっただろうし

それよりも介護を頑張った自分を褒めようと思いました。

そして背中を押してくれた夫に感謝です。

話が出来るうちに会っておいて良かった。

娘のせいにして会わない状況を作ってしまったら

娘に対しても申し訳ない気持ちになる。

その状況を回避させてくれてありがとう。

 

大嫌いな伯父から学んだ事は

・結婚し、子供を育てよう

・「ありがとう」が言える人になろう

・かわいいお婆ちゃんになろう

 

これで祖母から始まった介護は

叔父達全員が天国へ逝き

私達の介護は一旦、終わり。

それぞれの人生を反映した最期でした。

 

自分の最期は

「やる事はやった!後悔はない!楽しかった!」

と笑顔で逝きたい。

そのためには今を楽しく生きねば。

4人の先人達が教えてくれたことを大切にしよう。

 

最後に私が大嫌いだった伯父と同じ好きな事があります。

それは版画。

伯父は年賀状を毎年、版画で作り

版画好きの仲間内で交換していました。

目が見えなくなった時に

部屋の整理をして出てきた木版画の原版や道具。

伯父が大嫌い過ぎて

復元したくとも出来なかったのですが

いつか伯父が作った版画を

何かの形で復元してみようと思います。

多分、復元したその時が

私の中で伯父を許せる時かな。

 

昨日はお祝いの言葉をたくさん頂き

ありがとうございました。

 

私は38歳、記念日クラフトmarieは6周年を迎えました。

 

今年の誕生日は穏やかに時間が流れました。

そして自分をいっぱい褒めました。

 

今まで誕生日は

親が産んでくれた日だと思ってました。

でも私も頑張ってお腹から出てきた日だと思います。

自分の人生を生き抜くために自らスタートさせた日

 

出産は赤ちゃんの出たいペースに合わせて

お母さんの身体がうまく反応して

出産が進んでいきます。

だから誕生日は親子で頑張った日。

親にも感謝だけど

自分にもたっぷり感謝したり褒める日

 

だから

『本当の自分に戻るための軌道修正の日』

改めて感じました。

 

記念日クラフトmarieはお休み中ですが

今年の誕生日に感じたことは

作品を作る時やお客様と向き合う時

大きな糧になると思います。

 

それから最近思う事があり

今まで納期に追われて新作を生み出し

制作してする事が多かったので

一つ一つ作品を作り込んでいなかったなと…

お休み中に、もう一度見直し

再開する時には

パワーアップした商品をお届けしたいです。

そのためにも、もう少しお休みします!

お休みの間も感じた事など

日記は更新していこうと思いますので

よろしくお願い致します。

 

 

今年の誕生日は平日のため

夫が週末、サプライズで

ちょっと早めに

豪華なお祝いをしてくれました♡

ありがと!!!

 

誕生日を迎える前に

自分の気持ちを整理したかったので

今日は家族について少し書きます。

また個人的な事なので

苦手な方はここまでで終わりにして頂きたい。

 

 

3月7日に伯父の一人が他界しました。

 

伯父は長いこと精神疾患を患っており

入院していた事もありましたが

私達家族と同居していました。

しかし歳を重ねるうちに

徘徊と転倒が多くなり

母一人では介護困難のため

私が妊娠中に再入院しました。

 

伯父が元気だった頃は

性格的に厳しい人(怖い人)でしたが

幼い私達姉妹をよく可愛がってくれ

川遊びや植物、昆虫など教わったり

プールに連れていってもらったりしました。

精神疾患を患ってからは

かなりひどい状況だったため

私はずっと隠してきました。

 

看護学生だった時は

伯父の入院先が実習先の一つにもなっていたので

もちろん避けたし

看護師になっても隠し通しましたが

皮肉にも脳神経科配属となり

疾患により正常に保てない患者さんと接する機会が多く

伯父の置かれてる状況が

少しずつ理解出来るようになり

ケア出来るようになりました。

そしてボランティアを機に作家となり

障害のある方の作品とコラボしたりするうちに

「障害」とは?いろいろ考え

今までの「やってあげる」思いが

「一緒にやる」「共存する」に変わり

「障害」と「健常」の違いって何?

いろんな人がいて当たり前だよなって思いから

伯父に対する考えが変わっていきました。

 

危篤と言われてから

一週間ほど頑張ったのですが

面会に行くたびに思った事は

スタッフさん達が代わる代わる声かけてくれたり

いつ行っても身なりが整えられていて

皆さんに可愛がられた人でした。

伯父は「ありがとう」と

よく言ってくれる人だったので

きっとここまで来るには

たくさんの「ありがとう」を伝えてきたんだろうな。

幼い頃は怖い人だったけど

実は優しい人だったんだと気づかされました。


更に私の中でまだ伯父を隠したい気持ちがあり

伯父と向き合っていなかった事に気づきました。

 

苦しそうな患者を前にした時

「もう苦しまなくていいよ。」と

思ってしまう事が多々あったけど

今回は伯父の姿と今までの人生を思い返すと

「自分の思い通りに、自分のタイミングで生きな。

悔いが残らないように最期の最期の一呼吸まで頑張れ。」

と応援していました。

 

最期は大好きな病院のスタッフさん達に見守られて

天国に旅立ちました。

私達は最期の時に間に合わなかったけど

生きてるうちにたくさんありがとうを伝えられたし

娘と会わせられたし

死に際は自分で決める事を看護師時代に体感していたので

死に目に会えなかったという後悔もなく

最期に会いに行った時

笑顔で「お疲れ様」が言えました。

 

病院の皆さんに感謝です。

幼い娘と一緒の面会を特別に許してくれました。

妊娠中に母と送りに行ったので

娘を見せる事が出来ないなと諦めてたけど

意識があるうちに見せれて良かった。

病や症状にとらわれる事なく

一人の人間として対応しているスタッフさん達の姿を見て

恥だと思っていた伯父が

尊敬する伯父だと気づかせてくれた。

スタッフさん達とのやりとりがなかったら

これを書く気にはなれず

更には娘の病気と伯父の病気を別物と捉え

歪んだ目で人を見る事になっていたと思います。

伯父の生き様が

私の人生観を変えてくれました。

今後、障害のある方ともっとお仕事がしたいと思っていた矢先に

たくさん学ばせてくれた伯父に感謝です。

 

障害者手帳を持ってた伯父は

なんだかんだ言って

カッコいい伯父でした!

 

 

最後までお付き合い頂きありがとうございました。