「映画」、、、と言う単語が発せられただけで、その人に付加価値が

つく。


あるいは、発した人間がある種の高揚感を得る事が出来る。


そんなおかしな言葉が「映画」だ。


そして映像分野だけでなくても、クリエイターには、映画に対してある種

憧憬のようなものがあるのだ。


CMで名をはせたディレクターやお笑い芸人の夢が映画だということも珍しくはない。


私はこういう状況って理解はできるが、それで冷静でなくなる状況について、

理解したくない。


「映画にしたい」と言ったとたん、企画書などを持ってくる必要が無くなったり、

監督が全ての権限を持ったりもできる。


それは自主映画であればある程可能で、配給や収益なども全く考えなしに

すすめられてしまうのだ。


だけど大勢の人間がかかわっていく上で、スタッフたちに対価を支払うのは

当然のことだし、計画的に物事を進めていくことも重要だ。


その部分がきちんと前もって考えられてなかったために、スタッフへの支払いが

滞って逃げ出されたり、頓挫したり制作期間が長すぎて公開時期を逸したりしてしまうのだ。


監督が全ての権限を持つことができるというのは、まさにこういう所にも波及する。

細かな部分さえも彼らが主導しているわけだから出たとこ勝負な監督なら、

「非」計画的な映画制作が着々と進む事になる。


またこのような映画の出演者たちについては、同情するが、やはり出演者たちにも

「映画」の魔法は効いているのだろうと思う。


基本的に映画の出演者は、制作サイドから言うと、「出ていただく」か「出してやる」かの

二極。

出演者サイドから言うと、「お願いしても出させていただく」か「お願いされたから出てやった」

かの二極。


つまり大多数の映画は制作サイドから「お願いして出てもらう」ことが多いので、話題にならなかったり、

売れなかったり、思うように行かなかった場合、否定的反応が大きくなるのだ。


ギャラも雀の涙が多いしね。


映画、好きだけど、制作には二度とかかわりたくない。