とある土曜日、我が家は、荒れ果てていました。
畳まれていない洗濯物が部屋の角に積み重なり、
シンクには洗っていない食器が重なり、
子どもたちのもの、私のものが床に散乱し、
砂やらなにやらで床がひどいことになっていました。
その状況で、母が家に来て、スーパーで買った惣菜を一緒に食べることになりました。
我が家に向かう道中、少しずつストレスが湧いてきました。
「また、小言を言われるんだろうな~、、、」
心がズキッ。
「でもこれ以上どうしようもなかったんだよ~」
辛&涙
「昨日07:15に子供たちに幼稚園に送り出して、東京に行ってアメリカに行く夫を送り出し、その後講座に出席して、帰って来たのが24:00。」
わかってほしい。切実。
「今朝は07:00に家を出て、子供たちを迎えに行って、朝から公園に行って、片づける時間なかったんだよ」
必死に弁解
「そりゃ、子供いなかったら、もっと時間あるんだよ~」
イライラ
「私だって一生懸命やっているんじゃい!」
怒りが煮え初め、、、
「文句あるんかい~!!!!!」
逆ギレの始まり。
※全て脳内劇場です。
そして、我が家に到着しました。
荒れ果てた我が家を見た我が母。
いつもは散らかっていると小言を言ってくるのに、
この日は、「ち」の一言もありませんでした。
むしろ、いつもより明るさがありました。
防衛体制で迎える準備をしていた私は、拍子抜けしながらも
とりあえず洗い物をして、テーブルだけきれいにして、
荒れ果てた部屋で、ごはんを一緒に食べました。
母は、夕食中も明るさを保持し、そして、帰っていきました。
次の朝。
6:30に起きて、子どもたちの相手をしながら、
13時までかけて淡々と片づけをしました。
この時の動機は、
「こんな私はダメ人間だからどうにかしなければいけない」
という「自己批判」ではなく、
「子供と自分の為にきれいな家にしたい」という、
「苦しみから解放されたい、幸せに生きたい」という前向きな動機でした。
そして、そこには軽さがあったのです。
楽しさもありました。
希望も、エネルギーもありました。
それは、昨日の脳内劇場とは全く異なるものでした。
母からの小言を想定し、勝手に怒っていましたが、
それは、
「部屋をきれいにできていない自分はダメ」
という自己批判だったのです。
そして、その脳内劇場の為に、
自ら、痛みを創出し、恐れ、怒り、、
無気力になっていったのでした。
あの時、母が荒れ果てた状況に触れないことで、私を受け入れ、
暗示的に理解を示してくれたことで、私は、力を得ました。
ありのままを優しさを持って受け入れるコンパッションが、
現状を変えたいという前向きなエネルギーを作り出したのです。
そして、このエネルギーこそが、やる気になり、目標実現に繋がり、少しずつ人生が変わっていきます。
残念ながら自己批判はとても根深いものです。
それは、ストレスに対する生理反応だからです。
そして、それはしばし、群れで生きる人間が他者、社会から学んで来たものです。
自己批判ではなく、コンパッションを動機にする方法。
自己批判を手放し、他者との程よい関係を保つ方法、学んでみませんか。
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