数年まえ

白血病の闘病生活をしていた

Sさんが亡くなりました

 

まだ若いお母さんでした

 

 

治療を受けて一時元気になりましたが

 

後に再発し、治療を続けていながら

 

風邪をこじらせ亡くなりました。

 

 

 


亡くなった時に何人かの方が

 

 

 

Sさんは
「~の人だったから亡くなった」

 

 

 

 

というような言い方をしたのを聞いて

 

 

 

私はがっかりしました

 

 

 

Sさんは最後まで勇敢に

ご自分の命を全うしたと思うからです。

 

 

 

 

私は

「人は誰も寿命を全うして生きる」

と思いたい種類の人間です。

 

 

 

何かが足りないから亡くなるのではなく

また、偶然に亡くなるのでもなく

その時が満ちて亡くなると

思いたいのです

 

 

 

 

 

病気も不慮の事故もあり

 

特にまだ若い方が亡くなると

 

私たちは説明できない悲しさに

打ちのめされます

 

 

 

でも、それでも

私たちの命は偶然ではない
 

だから

命の終わりも偶然ではない

 

そして

私たちの命の始まりも終わりも

罰では決してない

 

と思うのです。

 

 

 


私の大好きな本(My Grandfather's blessings P.313)には、病床の母親が「私たち命は一秒も短くなることはないし一秒も長くなることはない」と寿命を心配せずに毎日を楽しむ姿が描写されています。そして次の一説が続きます。

Many years afterward I heard a Tibetan Lama address this same issue in a far different language. "We die, not because we are ill but because we are complete," he told his dharma class. "Illnesss is the occasion of our dying, not the cause."

 

(勝手に和訳)
何年も後にチベットの上人が同じことを違う言葉で語っているのをお聞きしました。
「私たちは病気で死ぬのではなく、その命を全うした時に死ぬのです」
「病気は死の原因ではなくて、きっかけを提供しているだけです」
(ダルマクラスでのお話し)。


コーチングをしていると
人の人生の転機に出会い
往々にしてその方の
尊い本質を垣間見ることがあります。


それが祝うべきことであっても
悲しむべきことであっても


それをどう捉えるかに
私はその人の真の姿があると思います。

 

 

 

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どの命も美しい