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とある舌ガン経験者のお話

2016年に舌ガンに罹患、舌の再建手術の後、17年に転移発覚、再手術の後、放射線治療と、免疫系の化学療法を行いました。5年経ち、寛解と言われていますが、色々不便なことなどもあるので、情報の共有ができたらなと思っています。

少し時間が空いてしまいました。

 

例のお騒がせの同僚との話し合いは、

所長が大人しくしてくれたせいか、

本社からの人たちの圧に押されたのか、

思いの外すんなりと行われました。

 

彼が3月に移動するのは決定。

その際に彼が使っていた機材の一部は

移動できるが、

研究所の予算で購入したものは、

彼の部署の負担額に関わらず、

研究所に残る。

その後の研究所の使用については、

一つ残っている大きなプロジェクト以外は、

凍結、もしくは本社に移動。

 

これでやっと終わりが見えたと、

所長とも話し合っていたのですが、

その後もやらかしてくれています。ガーン

 

移動しないと言われた機材の移動リクエストから始まり、

勝手に新しいプロジェクトを持ってきたり。

 

さらに対人関係でも色々あったらしく、

彼の元に3人いる部下の2人は、

当初のプランの

彼と私の部署の掛け持ちではなく、

私の部署に移動させてくれと直談判。

 

いっときはどうにかやりくりすれば、

一人は三月まで(移動までの区切り)、

もう一人は後2年くらい

(部下の移動までの区切り)、

まで頑張れる、と言っていたのですが、

結局何も変わらず、

二人ともストレス溜め込んでいます。

 

そんな中、

私は日本へ向かいます。

仕事なんですけどね(苦笑)。

いいタイミングで抜け出せて、

所長に思いっきり羨ましがられました。ニヤリ

 

まあ、この件のせいで、

日本に着いて早々に、

早朝からこっちと会議なんですけどw。

 

(秋ですねえ)

 

例のお騒がせ同僚の今後を話し合う会議が明日行われます。

それに際して色々と調整が行われているのですが、

彼はいまだにうちの施設を使って仕事をしたいと言っているらしく、

そうなると本末転倒になってしまいます。

 

すでに彼の部下は私もしくは所長の管轄に入っていますし、

予算の関係で動かせない人も書類上は

私と彼が管理するということになっています。

一人に至ってはそれでも移動させてくれと泣きついている次第。

 

あれから色々話を聞いたのですが、

彼のように誰彼構わず嫌な態度をとるような人は

ハラスメントの定義には当てはまらないとのこと。

代わりにHostile work environment(敵対的仕事環境、不穏な仕事環境?)

と呼ばれ、仕事がしにくい環境を作ってしまっている、

というケースに当てはまることです。

面倒臭いのはそうなると、ハラスメントの部署の管轄ではなく、

人事部になるということ。

人事にこのようなケースを扱うノウハウもなく、

今までのゴタゴタが起きたのではないかと推測しています。

日本だと、モラハラ、パワハラになるんでしょうけどね。

 

もし彼が今後も施設利用に来るとなると、

うちの所長は辞めると言い切っています。

さて、どうなることやら。

 

もう一つは私の定期検診です。

耳鼻科の先生に会うのですが、

実は先々月に喉の調子が悪くなり、

さらに先月嫁さんの耳の健診について行ったので、

しょっちゅうお会いしていますw。

内視鏡をしてもらってきます。

無事であることを祈るのみ。

 

 

当時はiPhone 5 とか6だったんですねえ…。

 

ICUでの最終日

比較的のんびりな一日でした。 

大きなイベントと言えば 

首につながっていた2つのうち、 

1つのドレインを取ったことと、 

シャワーを浴びたことくらい。 

 

ちなみにこのドレインは 

かなり奥まで繋がっている特別なものだったので、 

取るときはものすごい不快感で、 

思わず声を上げてしまうくらい痛かったです。 

 

シャワーは男性の看護師さんが 

付き添ってくれて洗ってくれて、 

とても気持ちよかった。 

毎日のように体を拭いていても、 

やっぱり体を洗えるのは違いますね。 

 

最終日で、さらに私が元気でしたので、 

毎時間の診察も二時間おきに変更されていました。 

 

本来でしたら、午後には出られるはずだったのですが、 

気管カニューレのポンプが届かず、 

顔見知りになった看護師さんや技術者の方々と 

おしゃべりをしたり、 

これから必要だからと私の個室で使った道具や備品を 

看護婦さんがお持ち帰りように 

まとめてくれたりしているのを 

感謝しながら待つこと数時間。 

外が暗くなった頃、 

やっと気管カニューレのポンプが届いて、 

看護師さんたちに見送られながら、 

病院の近くのホテルへと移動しました。 

 

気管カニューレのポンプを待っている時間が長かったため、 

完全に飽きてしまっている子供と、 

お疲れ気味の嫁さんとホテルに向かいます。 

 

この数日間受けていた体のケアと、 

いまだに体に繋がっているドレインや胃ろうの事を考えると 

多少の不安はありますが、 

それでも病院から出られるというのは 

気分が良いものです。 

 

とりあえずこの日は胃ろうを使って食事と薬を 

体に入れる以外は特にする事もありません。 

というかこの日から次の検診のある術後7日後までの数日間、 

私のしたことといえば、 

定期的に食事と薬を取り、 

嫁さんにドレインに溜まる血を抜いてもらい、 

たまに体を動かすためにホテル内や近くを散歩するくらい。 

 

後はメールやニュースをチェックしたり、 

ネットで動画を見たり、 

必要な時にちょっと声を出してみたり。 

 

そして術後7日目に当たる日に 

執刀医と整形外科の先生と面談を受け、 
最後に残っていた首と足、 

二本のドレインを抜いてもらいました。 

こちらは比較的浅い場所に設置されていたので、 

抜くときの痛みもそれなりで済んでよかった。 

この時点で私につながっている管は胃ろうのみ。 

 

帰宅

次の診断には10日ほど空いているので、 

とりあえず一度自宅に帰ることにしました。 

そのままホテルにいても良かったのですけど、 

それだけでもお金がかかりますし、 

ちょっと病院から離れたかったですしね。 

 

そこで問題になったのは 

どうやって帰るのかということ。 

行きは飛行機できたのですけど、 

とりあえずちょっと歩ける程度の回復具合で、 

空港の人混みに子供連れで向かうのは 

いろいろな意味で厳しいなと感じました。 

その上気管カニューレはまだついていますから、 

ほとんど喋れないですし。 

 

更に病院の手違いで、 

流動食がホテルに届いてしまい、 

持って帰る荷物がとんでもないことに。 

子供連れですので、 

そもそもにして荷物が多いですからね。 

 

病院と相談すると、 

車で帰っても少しだけ手当が出るということでしたので、 

車をレンタルして帰ることにしました。 

首に大きな傷のある私は運転できませんので、 

嫁さんがハンドルを握ることになりました。 

 

車で帰ったことでいくつか楽なこともありました。 

に沢山の流動食を胃に入れると、 

調子が悪くなることがあるため、 

私は胃ろうを通して 

数時間おきに食事をしなくてはなりませんでした。 

 

胃ろうに流動食を入れるためには 

何処かに座って、シャツをめくって腹を出し、 

チューブに大きな注射器を差し込み、 

(ピストン部は使わずに) 

流動食を胃ろうに流し込むのです。 

 

車で帰ることができたので、 

駐車場所を選べば何時でも食事をとれました。 

これが空港の中だったら、 

どこで食事ができたかも分かりません。 

 

食事といえばこの帰り道に 

日本料理のレストランに寄って、 

お蕎麦を少し食べることが出来ました。 

このレストランは最近残念ながら

ラーメン専門店になってしまったのですが、

あのときのおそばは美味しかったなあ。

 

口の中の怪我は治るのが早いので、 

術後一週間の検診の時点で、 

もし何か口にできたら 

食べてもいいと言われていました。

無事に食べられるとなると、

胃ろうの存在意義が薄れてきます。 

 

おそらくずっと座っていたからだと思うのですが、 

この頃から胃ろうが体に

繋がっているいる部分に違和感があって、 

特に胃腸が動いている時に痛みを伴うことがありました。 

また、お腹に穴が開いている状態ですから、 

どれだけ気をつけていても 

胃ろうにつながっていつチューブに 

何かぶつかったり引っ掛けたりして、 

痛みに苦しむ、ということもありました。 

 

そしてこの長距離運転でのおまけとして、 

レンタル車が当時購入を考えていた車種だったのです。 

私はかなり期待していたのですが、 

荷物は乗らないし、ノイズは大きいしで、 

三日間かけて家に帰ってきたときには 

興味は全くなくなっていました。 

これも乗る機会がなかったら分からなかった事です。 

 

嫁さんは初めての長距離ドライブで大変でしたが、 

色々考えるとこの選択は大正解でした。 

あまり首を動かさなくていい高速道路では、 

私も運転して負担を軽くしましたけど、 

自宅から病院までは1200キロほどありますので、 

結構な長旅でした。