50年生きた感想や人生で知ったこと。 | お見合い現場より津熊照美(つくまてるみ)です!のカインド日記(大阪の結婚相談所カインドのブログ )(あなたの知らない結婚相談の世界)

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津熊照美主人を胃癌で亡くし未亡人歴27年以上。
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おはようございます。

津熊です。


私が50年生きて来て知ったこと

人生への感想を書こうと思います。


私は

6歳の頃に両親が離婚して

1年間は父の方へ

その後は母の方へ

それから母が再婚した義理の父と母と3人で

暮らしました。

50歳の年齢になっても

7歳の頃に近所のおうちに預けられて

そのおうちのお嬢さんに意地悪されながら

心細い気持ちで生活したことが

ああ、私は可哀想だったと思うので


人の生い立ちって

大切なんだなと思います。

私は近所のおばさんちに

小学校2年生の頃預けられていたのだけど

母が再婚して

義理の父と母と3人で小学校3年生から

暮らせるようになりました。


私の人生の最高の幸運かと

思えるくらい

義理の父との出会いは

幸せでした。

母より愛情深い

義理の父に育てて貰って

義理の父は働いていたのに

母は昼も夜も働いていたので

義理の父に傍にいて貰えて

「思いやりのある行為」

父は私に奉仕してくれて

幸せだったなと

亡くなって14年以上ですが

感謝で今も涙が出ます。


まさに

父との出会いが

「僥倖」ぎょうこう

私にとって

思いがけない幸運でした。


19歳の頃

主人と母が経営する喫茶店で出会いました。

私は短大生だったのだけど

母が短大に進学する時に

無計画でお店を始めたので

店員さんを雇えなくなって

「照美が店長だ」って

手伝わせれほとんど短大に行けなく

なってしまいました。


主人は岐阜の人で

初めてお店に来た時に

珈琲を注文して

「たくわん下さい」と言ったので

???と思い

「変で厚かましい人」と

初めはそう思いました。

岐阜の実家でお母さんが

たくわんを漬けていた?らしいです。


お店には常連のお客さんが出来て

愛称を着けていたのだけど

お店の上はマンションで

そこに

阪急百貨店で働いていた

東京から転勤で来ていた男性が居て

その人は「とうきょうさん」て愛称で

主人は岐阜だから

「ぎふさん」て愛称でした。

主人はその当時は細くて

小柄でもう、そろそろ

禿げ初めていたように思いますw


背が高くスマートで

東京弁wかっこいい

とうきょうさんでしたが

変な

ぎふさんに

心が惹かれましたw


ああ、主人に心が魅かれる前に

お店に来た

めっちゃかっこいい~

長身でハンサムで

年齢の近い男性に

ラブレター貰ったのだったか

少し、交際しました!

人生で初めて

異性と交際したのはその彼で

18歳の頃でした。


そう、お店の手伝いがあって

空いた時間に

その彼に会いに行ったら

車だった~

初めてキスしたのはその彼だったな

びっくりした~な~


初めてキスしたのはその彼だったけど

それ以上は主人とだったな~

変な主人、ぎふさんを好きになったのは

私だった

主人はお店に来て

私にプレゼントを買ったのを

渡してくれたりしていたけど

それは中国で売ってるような

キティーちゃんの小さいぬいぐるみだったり

小学生の女の子がつけるような

プラスティックで出来たようなネックレスw

その感覚がおかしかった~


私はファーストキッスは

初めて交際した彼にされたけど

私は主人と車でデートして

駐車してる時に

「キスする?」みたいに

「ふってあげた」www

じゃないと主人は自分からしそうにない人だった

私はサービス満点w


主人にはサービス満点な人生で

私が居て主人は楽しい人生を送れただろうなと

思えるw



22歳で私は31歳の主人と結婚したけど

主人は結婚式でカツラ被っていた~

なので女性が禿げてる人を好きでない人もいることを理解しにくい

かもしれない~

貯金のなかった主人を私が旅費を出して新婚旅行にシンガポールに

行ったことは、主人は42歳で胃癌で亡くなったので

良いことしたなwって思える

主人は結構、私のことは考えず、好きなことした人生だったから

後悔なしだな~

私が31歳の時40歳の主人が

スキルス性胃癌と診断されて

ドクターに「逸見政孝さんと同じ胃癌です」と

診察室で言われた時に

「死を覚悟して下さい」と言われたのに

分かってなかった。

それでもそれまでの人生の

人生最大のショックを受けた。

それから主人が亡くなるまで地獄だった。

主人の死は恐怖だった。




23歳で長男を

24歳で長女を出産した私は


今、思うのは

女性の宝物は子供であり


自分が親になり

家族を持つことで

人生の深い喜びや

深い悲しみを知ることが出来ると言うことです。


私の50年を振り返ると

25歳くらいの時

子供たち二人は2歳とか1歳で子育ては

大変でその頃は

気が付いてなかったけど

今思うと


可愛い幼子と過ごした時間

お乳をあげたり

ご飯を食べさせたり

そんなことを

して

一緒に過ごした日々が

最高!だった~

人生で一番~幸せな時だったんだなと思う。




可愛い~可愛い

子供たちを授かったこと!

これも

私には

「僥倖」

思いがけない?

幸運だったのだ!と

今、思います。


女の幸せは母になって

子と言う宝物を持つことです!

人生でそう知った私は


女性には

人生の早いうちに

人生を見通して


「結婚して母になる」と言う

人生プランを持ってほしい。


女性にはタイムリミットが

あるから

人生の計画に


「結婚して母になる」を

入れたら

何人の子供を持ちたいかとか

考えて逆算したら


何歳までに

結婚しなあかんな~って

気が付くのだろうと思う。


50歳の私は

幼い子を育てていた頃が

人生で一番

幸せな時期と感じていて


子供は母の宝物

自分の命以上に


大切で

子供を授かることが

女性の人生で

最高の僥倖なんだと

思います!


ごめんなさい

ご病気等で

子供さん、持てない女性も

いてこんなこと書いて

本当に申し訳ないのですが


今は

女性は目先のことに

集中して

仕事に一生懸命だったりして


自分の人生で大切なこと

何か

考えてなかったり

何が一番幸せなことか

考えてもなかったり

するのだろうけど


50年生きた私が

知ったこと

知って貰って

「女性の幸せは母になること」

「子を授かることは一番の宝物を

授かること!」って

知って貰って

それなら


年齢が早いうちに

人生の計画をしないといけない

女性の幸せは母になることだから

逆算して

何歳までに結婚しなあかんなとか


考えて欲しい。


生きる意味は分からないけど

この人生は


「経験する為にある」と

思ったら

幸せな思いをする

経験を

あなたに人生で沢山して欲しい


深い喜びも

深い悲しみも


自分が家族をもってこそ

知れる感情です。


結婚して家族を持って下さい。


いつも読んで下さって有り難うございます。