あの時父の元にいたら | お見合い現場より津熊照美(つくまてるみ)です!のカインド日記(大阪の結婚相談所カインドのブログ )(あなたの知らない結婚相談の世界)

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津熊照美主人を胃癌で亡くし未亡人歴27年以上。
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いきなりですが(^_^;)磯野波平さんて
何才なんですかね?
サザエさんは24才らしい~老けてはりませんかね?

話しは変わりますが私はふと
自分が小学校1年生の時のことを思い出しました。

すいませんね
話しを聞いて貰って。

私の両親は私が6才の頃離婚しまして
私は父と暮らすようになりました。

父と初め大阪府寝屋川市と言うところで住んでいましたが

父の出身地は奈良で
父の実家じゃなく団地で奈良に引っ越して
小学校一年生の私は友達も出来て楽しく暮らしていましたが
母が寂しいからと
小学校二年生になる時に大阪の母の元へ帰りました。

それで
環境が変わり
学校に馴染めず
母が仕事しないといけないから私は人のうちに預けられるわで悲しい思いをしましたが

直ぐに私には新しいお父さんが出来て

その義理の父は
良い人で

ヒステリーな母からの避雷針になってくれたり

母より愛情深い人で 私は義理の父に
人の愛し方を教わりましたが

小学校二年生の私が 母の元に行かないで父と暮らしていたら
自分に対する認識がもう少し自己重要感とか自信とか
違っていた気はしますが

生活力が母の方が上だから
1年しか私は短大に行けませんでしたが 短大に行かせて貰える経済力は母にはありましたが父にはなくて

父が母と結婚したのは母が父に足りない自営業の資金を貸したのがきっかけで(>_<)

なので一年でも短大に行かせて貰えたのは感謝でしたが

父は自分で
照明器具の注文を受ける仕事をしていたのですが
何かぜんぜんあかんかったのか

父の弟がするようになって成功しはって父は雇われていましたが(>_<)

そんな父の元にもしいたとしても

父は私が13才の頃に亡くなったので

やはり
13才になったら母と暮らしていたか

母は愛情が薄い人だったから
施設に行っていたかもしれないななんてふと思いました。

世の中は一寸先は闇だわと
若いホームレスの人をたまに見かけると思いますが

人間は思考パターンでホームレスにならない生き方が出来るんやと思います。

私は環境は関係なく素直に真面目に成長しました。

いつも母の気持ちを優先して
母がどうして欲しいかと言うことを自分の気持ちより優先して生きました。

なのに
娘の思うように生きさせてあげてるのに娘は

私の人生だからと言って私の嫌なことをしますから(T_T)
環境じゃなくて
生まれつきの性格なんでしょうが(^_^;)
娘が私が嫌なことをするのは
私が母を心のどこかで嫌っていたからでしょうかと

言うようなことが
「鏡の法則」に書いてありました。

こうやって
人はおばさんになっても

自分の生い立ちをいつまでも思い出すので

子供はちゃんと
愛情を掛けられる環境で産んであげないといけない気がします。

お見合い結婚は
ちゃんと
子供を良い環境で育てられると言うことに繋がる気がしますが

お見合い如何ですか?(^_^;)

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