午後8時くらいから寝ていまして~
夜中に目が覚めた
津熊です。
私は主人も両親ももう亡くしまして~
主人は亡くなり12年になり両親は続けて亡くなり10年になります。
実の父は私が13歳の頃に亡くなりました。
主人が亡くなり寂しい頃に
痴呆もあり
入院していた両親が亡くなりまして~
私は両親をうちで世話することが出来なくて申し訳ないと思っていましたが
両親の責任も感じていたのが
あっと言う間に
二人とも天国に行ってしまって~
肩の荷がおりたがっかり感と寂しさと
それから
精神的に参りましたが(>_<)~
私はあまり
家庭運が良くないと言うか~
両親は私が6歳の頃に離婚して私は小さい時から寂しい思いをして生きてきましたが
父と母がいて
私が子供の頃は~
まだ両親に甘えられて幸せだったなぁ
お父さん~
おかあちゃん~て
呼んでいた頃に帰りたい(^_^;)~と思ったりします。
私が小学生の頃は
幼馴染みの明美ちゃんのうちがお父さんもお母さんも実の親で大きいおうちでピアノも習っていて~
羨ましいなぁ
と思いましたが~(^_^;)~
私が9歳の頃
私は母が再婚した義理の父と暮らす様になりました。
母は私に義理の父を
「お父さんと呼びなさい」と言いました。
でも
なかなか
お父さんと呼ぶのは
呼び辛い
恥かしい?緊張する?なかなか
お父さんと言いにくかったな~と思います
私がラッキーだったのは
義理の父が
「愛情溢れる
優しい人」だったことです。
母は男みたいな人で 父と一緒に生活する様になっても
昼も夜も働いていて
夜は居ないので
父と私 二人でご飯を食べました。
父はまっすぐ
仕事から帰って来て
土曜日には近くのお店のおまんじゅうを買って帰ってくれました。
ある日
小学校で劇をすることになり
人前に出るのが苦手な私はその他大勢の役でしたが
台本があり
コピー?された台本~
私は穴を開けて
紐を通そうと思った?のか
うちでカミソリで台本に穴を開けようとした?はっきり覚えていませんが
私はカミソリで手を切り台本に血が流れて沢山~付いてしまいました。
次の日
流れて血が付いた台本の横に
ボールペンで
父が別の紙に
台本をすべて
写して書いてくれたのが置いてありました。
(T_T)~
父が私を愛してしてくれたことを
思い出すと
感謝で涙が出ます。
台本は何ページもありそれをすべて
写してくれました~
今みたいに
コンビニでコピーなんてない時代でした。
一般的な家庭と
うちは
父と母が反対だったかもしれないです。
母は母で
働くことが愛情と思っていたかもしれないけれど
子供は「直接的にして貰ったことを愛情と思う~」なので
家庭のお父さんは仕事はそこそこに?
奥さんの手伝いや
家族で出かけるとか
した方が
家族は
「お父さんに愛されている」と感じるのだろうと思います。
私の義理の父は
母と知り合った頃
全国にある?飲食店チェーン店の専務だったか役員をしていて
それでジャスコの中の飲食店を母が経営?していた頃もありましたが
母は父が専務だったから交際したのか?どうか知りませんが(^_^;)~
残念!父は会社を辞めて~退職金は以前の家庭に~だったのだろうと思います(>_<)~
そんな転職した父に不満を持って生きていたのだろうか母は?
母が女らしく
家庭にいたら
私ももっと幸せだったのにな~
家族で出かけた思い出なんてほとんどありません(T_T)
母が365日くらい働いていたから~
そして母は
更年期になる頃に
喫茶店を始めて~
店内の工事から始めて~1000万円以上~失敗して貯金をなくして~
生きる希望もなくしたのでした。(>_<)
と
言うことで?
おやすみなさい~(^_^;)