おはようございます(^O^)~
データホルダーに逸見政孝さんの写真があり思い出しました~3月11日は主人の命日で亡くなってから12年になりますから13回忌と言うのをしないといけないみたいですが~
明日の日曜日は主人の父の一周忌で岐阜に行って弟たち家族に会えるので
子供たちと墓参りに行くだけで良いかな?と思っていますが
13年と何か月前~
私は32歳で41歳の主人が胃癌だと
ドクターに診断結果を言われました。
その時に
ドクターは
「逸見政孝さんと同じスキルス性胃癌です」と言われました。
逸見政孝さんはフリーのアナウンサーでテレビで司会のお仕事をされていた誰もが
知っている人で
胃癌で亡くなった人でした。
その逸見政孝さんのお名前を出されて
私は死を想像しました。
ドクターも死を覚悟しなさいという事で逸見政孝さんのお名前を出されたのだと
主人が亡くなってから分かりましたが
受け入れたくない?
受け入れられない
現実に気が動転して
うちに帰って泣きながら主人の弟のうちに電話したなぁと思いますが。
ドクターは大変ですね、そうやって
人の死の宣告をしないといけない。
悲しむ家族の様子を見るのは辛いだろうな。
告知するとか
しないとか
私はドクターに聞かれた記憶がなくて
主人はすぐに
自分が胃癌だと
ドクターから診断結果を言われていた様に思います。
主人が亡くなるのが怖くて亡くなるまで辛かったです。
主人を思うと
早い死に
可哀相だったと
涙が出ます。
でも
主人の人生に私が居た事で主人は楽しい経験が出来ただろうとは思えます。
わりと~主人は私に気を使ってしたい事を我慢する方ではなくて
したい様にしていたと思います。怖い奥さんの方が良いのではないかと主人に言ったら
そうであったら
逃げて行ってると言っていました。
そして
私も主人に感謝です。私は自分の親戚に縁が薄いのですが
主人には
沢山 おじさんやおばさんが居てお母さん に弟が二人
その家族と
私に沢山の親戚を残してくれました。
私は18歳で27歳の主人と知り合って19歳で交際する様になり22歳で結婚33歳で死別しましたが
19歳の頃?だったか主人の実家に連れて行って貰いました。
大阪での生活をしている私には
主人の実家はどんな風に感じられたか
お義父さんが
「冬になったら雪が積もって二階の窓から出入りする」みたいな話をしはったか
弟が「若いですね」と私に言ったのを今でも覚えています。主人より私は9歳年下だから若いなぁと思ったんだと思います。
私は自分では
意識しないうちに
主人が親戚の縁が厚い?のを良いな~と思ったのか?とか思ったりもしますが
大阪で子供たちと暮らしていて
何かあった時に
岐阜の弟たちに相談に乗って貰ったら良いのに全て
自分で考えて解決しようと言うのに
過去に無理があったりしたかもしれません。半年くらい鬱になってた時期もあるので(>_<)~
今年、息子の就職に身元保証人が必要で弟になって貰えて感謝でした。
人生に何か意味があるだろうと考えるのは人間の勝手な考え方で
ただ出来事があるだけ、そうなっているだけなのかもしれません
でも
自分が経験した事が何か人の役に立つなら
知って欲しいと思いますが。何か私の経験が役に立つことはないでしょうか?
私も人の経験を知りたいです。人の経験を聴くのは興味深いです(^o^)
だから教えて下さいね(^o^)/書いて欲しいでーす。
今日もお元気でお過ごし下さい~(^O^)