十二月も十日を過ぎると、ひと昔前なら連日忘年会でした。

自分が年を重ねたせいか、はたまたコロナの明けのためか、

自分が参加する忘年会と言うものがめっきり少なくなりました。

 

とは言っても似たようなものはいくつかあるもので、

この1週間ほどは、あれこれあって、

まともな白いご飯を食べることがありませんでした。

 

朝は基本的にパン食なので、ご飯を食べるのは通常お昼か夜になりますが、

このところお昼は時間がなくて、牛丼、ラーメン、サンドイッチ

などというものが続きました。

夜は夜で忘年会は一度だけですが、我が家にお客さんが来たのが一度。

打ち合わせの流れで飲みに行くことが二度ほど。

 

自宅での夕食でも、うどんだったり、ピザだったり、

鍋をつついてご飯を食べそこなったりで、

白いご飯をきっちりと食べることがない日が続いておりました。

 

今日は久しぶりに白いご飯を頂きました。

ふるさと納税の返礼品が多すぎたと

息子が持ってきた干物がありましたので、

そのアジの干物と大根おろし。

 

それと、昨日ご近所さんから頂いた大きめの長芋を、

厚めの輪切りにして、ニンニク、バター醤油でステーキに。

豆腐とネギの味噌汁、それにきゅうりの浅漬け。

ほんとに絵に描いたような日本の食事となりました。

 

久しぶりにお茶碗によそった白いご飯をいただくと

これがなんともおいしい。

 

以前、胃の調子が悪くなり、入院した折、

食べ物をよく咀嚼するように指導されていたため、

最近はよく噛んで食べる習慣がついたようです。

 

そのため食べる速さはだいぶゆっくりになりました。

外食の際の定食を注文するにも、ご飯の量を少なくしてもらうのですが、

一緒に食べる仲間と比べるとだいぶ時間がかかります。

 

このよく噛んで食べるという行為はよく味わうことと一緒だと思います。

 

コロナの後遺症のため、

臭覚異常で鼻が利かない状態がいまだに続いていますので、

鼻に抜ける香りを感じられません。

 

アジをグリルで焼くときの脂が焼けるにおい、

バターを溶かして刻んだニンニクに移す香り、

醤油のわずかに焦げるようなにおいなど、

鼻腔を何かが刺激している気がするのですが、

感じ取れません。

 

それでも味は分かります。

においがわからないと味もわからないといわれますので、

おいしさも何割かマイナスで感じているのかもしれませんが、

それでも炊き立てご飯はしみじみおいしく感じます。

 

よく考えると、このお米も頂き物でした。

新潟の親戚が送ってくれた「コシヒカリ」の新米です。

頂き物だらけの夕食を感謝しつつ口にしました。

 

わずか一週間程度しか、白いご飯の間が空いただけで、

大げさな気もしますが、なじみが深いおかずと一緒にゆっくり、

かみしめ、かみしめしているとさらにお米が味わい深く感じました。