おいしさというのは主に味覚と嗅覚で感じると言われています。

ところが実際は、嗅覚がおいしさのほとんどを決めるらしい。

 

食べ物を口の中に入れると口から鼻に空気が移動する。

この空気に含まれる食べ物の匂いが、

風味でこの風味がおいしさの主役なのです。

 

味というのは、舌の表面にあるセンサーで識別されるのですが、

甘味やうま味、酸味、塩味などの味センサーはほぼ1種類ずつ。

対して鼻に抜ける空気の匂いセンサーは人間で400種類、

ネズミではなんと1000種類とか。

風邪をひいて鼻が詰まると味がわからなくなる理由です。

 

 

プルースト『失われた時を求めて』岩波書店全14巻

岩波書店HPより

 

 

そしてこの、匂いの記憶はいつまでも保存されるようで、

プルーストの小説『失われた時を求めて』のなかに、

マドレーヌを紅茶に浸して食べた瞬間に、幼い頃に家族と過ごした情景が、

ありありと浮かんだ、というくだりがあるそうです。

(読んだことがないのでスミマセン)

 

 

私の場合は何かの味=風味がきっかけで、

 

過去のことがありありと想起されたわけではありません。

 

何かの拍子に、ありありと思い出したのは、

 

旅行先で食べたニシンの甘露煮の味です。

 

 

マドレーヌと紅茶がきっかけで、過去の幸せな情景が思い出され、

長大な小説を書き上げたのはプルースト。

特段のきっかけもなく想起されたのがニシンの甘露煮の味で、

ただ驚いているのが私。

 

 

 

 

 

それでも、ちょっと驚くくらい、

以前食べた甘露煮の味がありありと思い出されたのです。

 

ニシンの味と風味がはっきりと、今まさに箸で口にいれた瞬間のように

感じられたのです。

 

こんなことが聴覚で送れば幻聴でしょうし、

視覚で起きれば幻覚です。

 

ひょっとしたら脳のどこかの神経回路がショートでもして、

ありもしない感覚が引き起こされたのではないか、

早めに医者に行った方が良いのではと思われるくらいでした。

 

それほどはっきり思い出せるのならば、

さぞかしおいしいものだったのかというと、

そうではないのです。

 

高級料亭の座敷で食べたとか、そのような印象深いものでもありません。

 

多分、団体旅行の途中どこかのドライブインだったような気がしますが、

それすらはっきりしません。

 

 

なぜそんなどうでもいいような、食べ物の記憶が突然蘇るのか不思議なものです。

本当に一時的な神経回路の異常だったのかもしれません。

 

 


 

それでも、その時の感覚が強烈だったので、もう一度同じものが食べたいと思い、

店先にニシンの甘露煮などが置いてあれば買い求めて食べるのですが、

味が濃すぎて蘇った味とは違います。

 

どうしても食べたいと言うものではないので、

思いついた時に買ってくる程度ですが、

何回か期待外れが続くと、出来合いがなければ自分で作るかと思い

身欠きニシンを買ってきました。

 

ハードタイプとソフトタイプがあるので、

とりあえず戻す面倒がなさそうなソフトタイプでチャレンジしてみます。