最近、続けて忘れ物を経験しました。

認知症の始まりか気になるところです。

一つは傘。電車を降りた途端に車内に忘れたことに気付き、

すぐに駅の窓口に行って相談。

今降りた電車ですので、簡単に見つかるかと期待しました。

でも見つからず、ガッカリ。

 

ビニール傘ではない、買ったばかりのちゃんとした傘だったので、

翌日、同じルートに乗ったので、諦めきれずに

また忘れ物の窓口へ行くと、ありました!

各停で30分位の駅で預かっているとのことで、

すぐに取りに行きました。その際、「お忘れ物お引き取り乗車票」

というものを発行してくれることを初めて知りました。

そのためだけに電車に乗るからだそうです。

 

横道にそれますが、でもこれは小田急線だったからだと思います。

だいぶ前ですが、JR線で忘れ物をしたときは、

保管の駅までの乗車券を提示するよう求められたような気がします。

忘れ物をするように、昔に記憶もあいまいになっています。

勘違いだったらJRの方すみません。

 

話を戻して、傘1本とはいえ、手元に戻るなんて、

まだまだ日本は捨てたものじゃないようです。

 

その次は財布。レジを通し支払いをしようとしたら、ない!

自宅から徒歩10分位のスーパーだったので、

その品物を取り置きして貰い、財布を取りに自宅に戻りました。

 

たまたま自転車で行っていましたので往復10分余りで再びその店へ。

レジの方も交代なく、無事支払いを済ませました。

 

傘も財布も降りる時や出かける時に、

「確認する」ということを怠った結果です。

怠った結果、手に取りそこなったり、

ポケットに入れそこなったりするのは、

どんな年齢でもあることです。

 

ただこれが、知っているはずの人が誰だか分からない、

鏡に映る顔が自分であることが分からない。

目の前の若いひとが、自分の子どもであることが分からず、

違う名前を呼んだ。

箸を持ったものの、何をするのか分からない。

こういう高齢者はたくさんいるそうです。

高齢者介護の仕事をしている知り合いの話です。

 

それが、誰でも知っているような会社の役員の方だったり、

ご自身が医者の方もいるそうです。

 

そういう話を聞くと切なくなります。人生の中で、

忘れてもいいこと、忘れたくないこと、

忘れると困ること、など記憶というのは不思議です。

記憶そのものがなくなるというより、

記憶を検索できなくなるようなのです。

 

立て続けに忘れ物をしたので、行動の前にこれでいいのか、

と「確認すること」を心掛けています。

でも、確認すること自体を忘れるようになったら、

どうなるのでしょうか。