それでいいし、それがいい | 明日はきっと "新しい"

明日はきっと "新しい"

(難病や障害と共に生きるってどういうことだろって考えながら過ごす日常を綴っていきたい・・・な)


バレーボール大会に参加した息子とのやり取りに関する最終話・・・他にもいろいろあったけど、それは何かで思い出した時に披露するとして、とりあえず一区切りにしたいなと思う。




今回、息子が大会初日に抱えたプレッシャーと混乱は、幸いなことに、翌日に引きずることなく、一番良い形で解消することができた。

「結果オーライ♪」と肩の荷を降ろしたいところだが、息子とのやり取りを始めた時からずっと、僕はある後悔を抱えていた・・・それは、息子の話を聞き進めるにつれて大きく、深くなっていたように思う。

前回大会終了後に、息子と課題を共有し、課題克服に向けて取り組むべきことを明確化していた・・・ただ、それは部活や自主練で取り組むべきことだった。

一方で、練習試合や公式戦で取り組むべきことについては完全にノーケアだった・・・それが僕の中で大きく、深くなっていた後悔だった。

目的はしっかりと認知できていた・・・だけど、その目的達成のための手段については、ちゃんと整理できていなかった。

これまで部活や自主練で取り組んできたことを試合の中でどう活かしていくのか、また、活かすために何を意識し、どういう姿勢で試合に臨むのか・・・そういったことが息子の中でちゃんと形になっていなかった。

勿論、僕がそれを決めたり、何かに誘導すべきものではないことは重々わかっている・・・ただ、わかっていて敢えて放置していた訳ではなく、そうしたことが完全に僕の意識の外にあったという事実が、後悔を大きく、深くしていたんだと思う。




親にとっての想定を現実が超える時、その理由は子の成長だけとは限らない・・・親の不見識や慢心、さらには気の緩みも、その理由になり得る。

今回の僕の場合は、気の緩みかなと自己分析しつつ、「もっとしっかりしなきゃ」と素直に思う・・・ただ、その一方で、「こんなこともあるわw」と自分を慰める。

そして、今回、息子に投げかけた言葉を思い出す。

「ミスしたチームが負けるんじゃなくて、ミスをカバー出来なかったチームが負ける」

何が勝ちで、何が負けかはひとまず置いといて、これはきっと、”家族“にも当てはまるんだろうと、都合よく考える。

親も子も完璧じゃない・・・だから、足りないし、やり過ぎるし、間違う・・・そして、それを互いにカバーしながら、自分達なりの家族であろうとする・・・それでいいし、それがいいと僕は思う照れ