昨日の祭日は、毎年恒例の年賀状の宛名印刷のため、単身実家へ帰省した・・・オカンの分と姉夫婦の分、そして、我が家の分を一気に印刷し、「今年も後少しやなぁ」と、当たり前なことを一人考えた。
天気が良かったこともあり、墓掃除に一人で向かい、帰宅後は、オカンが淹れてくれたお茶をすすりながら、ぼんやりとテレビ画面に視線を送っていた・・・そんな時、先日亡くなられたKANさんの歌唱映像が流れ出した。
心配ないからね
キミの想いが
誰かに届く明日はきっと来る
どんなに困難で
くじけそうでも
信じることさ
必ず最後は愛が勝つ
歌詞を調べずに書き込んでるから間違ってるとこがあるかもだけど、たぶんあってると思うし、迷わず書けたことに、この曲の染み込み具合を体感している・・・大ヒット曲で、同世代であれば、知らない人はいないだろうなと思う。
こんなストレートでシンプルな歌詞が、多くの人の共感を呼び、長く愛されたこと・・・年寄り全開だけど、「いい時代だったんだなぁ」と素直に思った。
この曲がヒットした頃は、大人達は臆せずに理想を堂々と語っていた・・・そして、そんな大人達の言葉に、子供達は安心感を覚え、希望を持つことが出来ていた・・・完全に僕の主観だけど。
いつからだろう・・・結果責任に縛られて、大人達が理想を語れなくなったのは。
いつからだろう・・・斜に構えることを良しとし、他人の懸命を茶化すようになったのは。
勝ち組・負け組、自己責任、生産性・・・人が人を評価し始め、みんなが不安に陥った。
誰が書いたシナリオかは知らないが、僕らはいつの間にか、根拠なく「大丈夫!」って誰かを元気付けることに躊躇するようになってしまった・・・たとえ、その相手が我が子であったとしても・・・いや、大切な我が子だからこそ、より強く躊躇してたのかもしれない。
だけど、難病とグレーゾーンの可能性を抱える息子を中心とした生活に長く身を置く中で、僕は気付いた・・・「これじゃいけない」と。
何を持って”大丈夫“と定義するのかは、発する側の自由・・・無責任なようだけど、今はそう思っている。
明確な打開策を示せないなら、想定される全ての非難を引き受ける覚悟を持ったうえで、「大丈夫!」という言葉を僕は送りたい・・・懸命な家族に対しても、何も出来ない自分自身に対しても。
気休めだと思われようが、無神経だと思われようが、構わない・・・それでも僕は、「大人が、親が、理想を語れなくてどうする!」と自分を焚き付けながら、根拠を後回しにして、不安に立ち向かいたい。
実家から自宅へ戻る車中・・・いつの間にか僕は、『愛は勝つ』のサビ部分を繰り返し歌っていた。
そして、何気なく考えた・・・「今の僕にとっての”勝ち“とは?」と。
僕らは、息子にも、娘にも、人より多くのものを背負わせている。
その全てを降ろしてやりたいという想いは今も勿論変わらないが、現実問題、今すぐには無理だし、凄く時間がかかる可能性が高い・・・最終的に、降ろしてやれないものもあるのかもしれない。
では、僕らに勝ち目はないのか?・・・「そんなことはない」と、僕は思った。
”子供らにしてやりたいこと“は、あくまで手段であって、僕らの目的ではない・・・目的はきっと・・・「子供らが、『生まれてきて良かった』と心から感じてくれること」。
言葉にすればそういうことなのかなと思った。
綺麗事?
絵空事?
・・・まあ、何だっていい・・・僕にとっての勝負は、その時、そういうことにしてしまったから💦
KANさんは言った・・・『必ず最後は愛が勝つ』と。
「子供らが、『生まれてきて良かった』と心から感じてくれること」・・・そんな理想を現実にすることは並大抵のことじゃないと、僕らはもう知っている。
だけど、気後れはない。
どうやら親の愛は、空よりも高く、海よりも深いらしい・・・だから、勝てる気しかしない。
理想が現実になる”その時“まで、僕は決して諦めない