想いよ、届け!! | 明日はきっと "新しい"

明日はきっと "新しい"

(難病や障害と共に生きるってどういうことだろって考えながら過ごす日常を綴っていきたい・・・な)


多くの人が、この世に生を受けた瞬間、家族の一員となる・・・その状態は、生計と意識の両面で完全に独立するまで続く。

この間の生い立ちについては、当然ながら人それぞれで、家族というかけがえのない最小集団の中で求められる立ち位置や役割もおのずと千差万別・・・子供が子供としてすくすくと成長することが広く一般的であったとしても、それが許されなかった者は、決して少なくないんだろうと、他人事のように思う。

今、改めて振り返れば、自分自身も“許されざる者”だったんだなと確信する・・・それは強いられたものではなく自ら望んで立候補したものであったようにも思うし、生きていくための本能的な選択だったようにも思う。

ちなみに、僕自身の生い立ちの一部については、過去に書き留めたとおり・・・

 




それを賞賛したい訳ではなく、客観的に俯瞰して思う・・・僕の幼少期は、自分自身の欲求を脇に置き、家族の維持に重きを置いたものだったと。

その一方で、就職と同時に家族から独立してからの僕は、自己欲求を追い求めることに躍起になっていたように思う・・・封印していたものを一気に開放するかのように。

その迷走は、結婚で新たな家族を構えても、出生で家族が増えても変わらなかった。

妻は妻らしく、子供は子供らしく、男は男らしく、女は女らしく・・・自分自身の小さな小さな世界観の中で作り上げた取るに足らないモノサシである“らしさ”を社会標準だと陶酔し、それに合わせていくことを家族に求め続けた。

簡単に言えば、僕の価値観を家族に押し付け続けていた・・・ということ。

当然、そこには、悪意もなければ、征服感もなかった・・・ただただ、幸せな家族でありたいだけだった。



自身の経験を踏まえ、家族のあるべき姿や進むべき道を示すこと自体は間違っていたとは思っていない・・・では、何が間違いだったのか?

家族一人一人の特性と想いに寄り添えていなかったこと・・・それに尽きると、今はっきりと確信している。

長く時間を共にした夫婦であろうと、血の繋がった親子であろうと、一人一人の特性や想いは当然違う・・・それを一つに統一することなど出来ないし、そもそも統一なんかしちゃいけないんだと、今ならわかる。

あるべき姿や進むべき道なんてものは、家族みんながそれぞれ自由に持つべきもの・・・そして、それらの違いが家族にとって支障となる時は、互いに寄り添いながら、最適解を一緒に模索すればいい・・・って、今の僕は思う。

そして、この考え方は、単に家族間の価値観の違いへの理解を深めるだけではなく、世間体や一般的基準とのスタンスにも良い影響を与えてくれると、僕は感じている。

もう何歳になったんだから・・・
もう小学生なんだから・・・
もう中学生なんだから・・・

こんな世間体や一般的基準に対し、ベッカー型筋ジストロフィーという難病と向き合う時間を重ねていく過程で、ついつい過剰に拘り過ぎになるけれど、お互いを知り、互いの違いに寄り添おうとすることで、「“我が家のペース”でいいんだ」という本質に辿り着ける・・・「よそはよそ、うちはうち」って感じで。

「能力がない訳じゃないし、努力が足りない訳じゃない・・・少し時間がかかるだけで、うちの子もいずれちゃんとできる」・・・こう考えることは、心の余裕を維持するために必要な心構えであると同時に、親から子への信頼の裏付けとなる“覚悟”なんだと、今の僕は思っている。




ここまで、その経緯も含め、僕自身の至らなさを書き留めてきた・・・そして、ここからは一転して、そんな僕を意図を持って養護していきたい。

僕は過ちを重ねてる間、自分の立場に、悠然と胡座をかいていた訳では無い・・・寧ろ真逆で、一向に好転しない状況に戸惑い、焦り、苛立ち、恐れていた。

そんな不安定な状態が、僕の独裁に拍車をかけていたんだと今ならわかるが、とにかく必死だった・・・「家族をより良い方向へ導かなきゃ」と、「僕がしっかりしなきゃ」と。

善意に満ちたプロセスなら全て許されるなんて思い上がってはいない・・・「大切な家族を傷付け続けた」という僕が生み出した結果は消えないし、誰よりも深く業として胸に刻んでいる。

ただ、僕がそうであったように、同じようにもがき苦しみながら、自分の想いを“押し付ける”ことにしか、今活路を見いだせていない方がいるのなら、そのご家族がどうか誤解だけはしないように・・・そんな想いで、事実として存在した“殴った方が感じてた手の痛み”を書き留めた。

“家族をより良い方向へ”・・・その最終目標へのベクトルが合っていることを共有できれば、軌道修正できるはずだと思う・・・我が家がそうだったように。



今改めて、家族って難しいなって、身も蓋もなく思う・・・難病を抱えているという事情があれば、尚の事。

その一方で、家族っていいなって、つくづく思う・・・難病を抱えているという事情があれば、尚の事。

息子と同じベッカー型筋ジストロフィーを抱えているお子さんや親御さんの未来は、明るいものであって欲しいと心から願う・・・我が家と重ねながら。

だから、僕の反面教師ぶりが、みなさんの悩み解決のヒントになれば・・・そんな想いで、今回のブログを更新してみた・・・この想い、届きますように爆笑




いつかの僕へ

50歳を超えた僕にとっては、キミの若さは魅力的だ・・・本当に羨ましいよ。
だけど、その若さにも欠点はある。
本質よりも表面を、真実よりも自己肯定を好みがちで、自己否定を遠ざけて、キミの思考を曇らせがちだ。

より良い方向へと願う家族は、キミに何を求めてる?

その明確な答えは、ゆっくりと時間をかけて探し続けるしかない・・・だって、50歳を超えた僕にさえ、まだ見つけられてないんだから。
ただ、ヒントはいくつか手に入れたよ。

家族が求めてるのは、「何でも先に決めてくれるお父さん」じゃなくて、「何でも一緒に考えてくれるお父さん」ってこと。
そして、「家族は誰か一人が作り上げるもの」じゃなくて、「家族は家族みんなで作り上げるもの」だってこと。

今、戸惑ってるよね?
今、焦ってるよね?
今、苛立ってるよね?
今、恐れてるよね?
・・・思い通りにいかないから。

残念だけど、その感情は、キミの意思とは無関係に、失望や諦めとなって家族を傷付けてしまうよ・・・そして、それは、自己嫌悪となってキミを追い詰める・・・ホント残念だけど。

でも、キミはまだ引き返せる。

少しだけ肩の力を抜いたら、「なんもわかってないなぁ」って一度だけ自笑して、家族がどんな顔してるか見つめ直したらいい・・・たったそれだけ。

僕の言葉を聞いてくれたキミなら、悲しげな表情にちゃんと気付けるはず・・・そして、若さでは決して片付けられない過ちにちゃんと気付けるはず。

キミはまだ引き返せる・・・そして、家族はそれを待っている!!