大阪府枚方市 百済王神社 | 京都からいろいろと

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百済王神社(くだらおうじんじゃ)  

 大阪府枚方市中宮西之町1-68

 

 さて、雨もあがり、枚方市駅からバスに乗り、バス停から徒歩で来ました。

 各地、延喜式内社を中心に参拝していますが、今回は、「百済」話に惹かれ、

参拝することにしました。

 今の地形からはうかがいにくいですが、古代は、ここ枚方や対岸の茨木、高槻

辺りは、湾(河内湖?)が入り込んでいて、朝鮮などから瀬戸内海を経て上陸する

地域だったかと。

 枚方市駅からは、そこそこ登ってきたところにあります。

 

 

 

 

百済王神社

 当社の創建時期については諸説ありますが、延宝 九年(一六八の「寺社改帳(じしゃあらため

ちょう)」に社名が見え、当時の地誌『河内名所記』にも「百済王の宮」として登場することか

ら、江戸時代前期には旧中宮村の氏神となっていたことがわかります。

 また、祭神は拝殿の扁額が示すように百済国王及び牛頭天王(ごずてんのう)で、当社が元は、

古代朝鮮半島にあった百済(六六〇年滅亡) 国王の末裔、百済王氏(くだらのこにきしし)の祖霊

を祀る神社であったことを今に伝えています。

 本殿は春日大社本社本殿の社殿を移築した「春日移し」で、高欄の擬宝珠銘に「文政十年」と

刻まれていることから、江戸時代後期の文化五年(一八〇八) 春日大社造営された後、文政一〇年

(一八二七) 当社へ移築されたものと考えられます。 

 保存状態 は極めて良好で、春日大社の本社本殿であった当時の形式を伝える貴重な遺構です。

 なお、正面向かって右側にある建物は旧拝殿で、 江戸時代後期の天保七年(一八三六)に再建

されたものです。 現在の拝殿が新築されるにあたり、平成一三年(二〇〇一)に移築されました。

        二〇一八年 枚方市教育委员会

 (境内案内板)

 

 

 

ご祭神 

 百濟國王(くだらこくおう)

 牛頭天王(ごずてんのう) / 進雄命(すさのおのみこと)