芹田神社(せりたじんじゃ) 延喜式内社
兵庫県丹波市氷上町鴨内37
ご祭神 高雄神尊(たかのおのかみのみこと)
時維元禄の頃、この辺を豊岡県丹州由良村の鴨内村と呼んでいた。
当所初代の庄屋を六兵衛という人が務めた。
その頃由良の(今の北由良)に別所豊後の守という士族あり一円を治めた。
偶々元禄13年元旦のこと、早朝降り積もった大雪の中を白馬に乗り六兵衛を尋ねられて
「この村に熊野大権現をお祀りしているか、実は昨夜夢枕に立たれ『この村に社を建て祀っ
てくれ』とのお告げがあった」と申された。
そこで六兵衛は「社祠はないが手洗鉢所に大きな石を立てて熊野三社大権現様と村人が
崇拝しております」と申し上げた。
早速豊後守は六兵衛を連れて山を上って見ると不思議にも一カ所だけ雪が無く地面が露出
していたのであった。
豊後守は「ここだ、ここが神のお告げの所である」と言って六兵衛に神殿の建立を強く要請
されて帰られたのであった。
六兵衛は早速村人を集めて相談し神殿の造成に取りかかった。
当時としては多くの資財と人力を費やしての大事業である。
六兵衛自らは周辺の所有する山林七尾七谷(約3町歩)を寄進したのである。
これが今の本社殿と宮の谷風致林である。
本社殿の造成と共に蔵王権現、ご神木〔天照皇大神)、瀬戸宮、八幡宮、貴船宮、山の神、
天王宮、正一位稲荷大明神を合祀された。
別に秋葉山社、大峰山社は芦田宗左衛門氏が祭祀された。
本社殿の完成は元禄15年と本社殿棟札に残っている。
延喜式内社沿革記 氷上郡には延喜式内社が17社あり、延喜式は醍醐天皇延喜5年秋8月より
左大臣藤原時平勅を奉じて撰するところにして延長5年12月26日に成る。
鴨内の西南にセドの宮と称する大森あり荒廃により慶長8年宮の谷の熊野神社境内に遷座す
丹波誌に芹田大明神式内名神と記さる。