兵庫県丹波市 佐地神社 | 京都からいろいろと

京都からいろいろと

ブログ開始後約7年間はアジアビジネスチャレンジをテーマに書いてましたが、17年に前職引退してからは、テーマ迷走中。

佐地神社(さちじんじゃ)  延喜式内社

  兵庫県丹波市青垣町小倉575-2

 
 
 
 

ご祭神  天宇受売命(あめのうずめのみこと)

 

創建   和銅三年(710年)丹波守、坂上田村麻呂の神勅を奉し

子息 刈田麻呂、社殿を造営して創立したるとあり。

 

鎮座由緒

  神楽大明神、三社は二間に三間半、末社多し。 北西に御手洗池の泉流あり。

 神殿前に欄干橋、大鳥居あリ。境内およそ一町四方余地 内に田畑あり。

 昔 神楽谷の大稗小稗の峯に鎮座せり。その古跡を恩ヶ嶽(岳)または天ヶ嶽(岳)という

峯に仏石とよぶ御神体あり。

 惣持の猟師背負い奉りて山を下り大稗小稗の境で休む所を鍵掛、小稗口の古木の陰で休む所を下り松とよぶ

 さらに檜倉口の田の中の小森で休んだ後、小倉に降りしが動きたまわず。

 ゆえにこの所に奉斎して神楽谷九ヶ村の産土神となす。

 九ヶ村は、檜倉、大名草、大稗、小稗、惣持、文至、稲土、市原、森なり。

                                                社内掲示板

 

 
 
 
 
 
中井権次一統の足跡。 丹波には多い、社殿の彫り物。
 
 
 
 
 
 
「佐地」 というより「佐治」という表記で理解している。
 
佐治とは太古、全面湖沼の佐沼の水を抜き治水し(佐治)、乾いた地(佐地)にしようと祈り、
場所をこの地にしたとされる。
同時に鉄、銅、玉類の交易場所として但馬茶すり山古墳とのルートが確立し、佐治の町が宿場町として
殷賑をきわめていたと考えられる、  とのこと。
 
たしかに、青垣町からは、北の峠を越えれば但馬、和田山に抜けるし、東は丹波福知山から丹後に抜ける。
播磨、摂津との間にある重要な位置でもある。