佐地神社(さちじんじゃ) 延喜式内社
兵庫県丹波市青垣町小倉575-2
ご祭神 天宇受売命(あめのうずめのみこと)
創建 和銅三年(710年)丹波守、坂上田村麻呂の神勅を奉し
子息 刈田麻呂、社殿を造営して創立したるとあり。
鎮座由緒
神楽大明神、三社は二間に三間半、末社多し。 北西に御手洗池の泉流あり。
神殿前に欄干橋、大鳥居あリ。境内およそ一町四方余地 内に田畑あり。
昔 神楽谷の大稗小稗の峯に鎮座せり。その古跡を恩ヶ嶽(岳)または天ヶ嶽(岳)という
峯に仏石とよぶ御神体あり。
惣持の猟師背負い奉りて山を下り大稗小稗の境で休む所を鍵掛、小稗口の古木の陰で休む所を下り松とよぶ
さらに檜倉口の田の中の小森で休んだ後、小倉に降りしが動きたまわず。
ゆえにこの所に奉斎して神楽谷九ヶ村の産土神となす。
九ヶ村は、檜倉、大名草、大稗、小稗、惣持、文至、稲土、市原、森なり。
社内掲示板
中井権次一統の足跡。 丹波には多い、社殿の彫り物。
佐治とは太古、全面湖沼の佐沼の水を抜き治水し(佐治)、乾いた地(佐地)にしようと祈り、
場所をこの地にしたとされる。
同時に鉄、銅、玉類の交易場所として但馬茶すり山古墳とのルートが確立し、佐治の町が宿場町として
殷賑をきわめていたと考えられる、 とのこと。
たしかに、青垣町からは、北の峠を越えれば但馬、和田山に抜けるし、東は丹波福知山から丹後に抜ける。
播磨、摂津との間にある重要な位置でもある。