misaoさんの、
blog記事に、
ジーンときて

それから、
この本の、
この部分も、
またジーン
ときて。
ときて。情緒不安定?
と
突っ込まれそうですか、
はい、
情緒不安定ですがな
(一部抜粋)
でも、
忘れてしまっていました。
もう随分長い時間がたったし、
生活パターンも変わったし、
住む国も変わり、
何もかも変わった。
ですから、
そのおばさんに
(忘れているね)
と言われたら、
ああ、
忘れていた、
最初は、
あんなに感謝していたのに…。
と、
とても素直に思えたのです。
牛乳とプリンの口を開け、
仏壇に供えて、
線香を立て、
おばあさんと一緒にお経を唱えます。
私の中を通っていってくれた、
大きな役割を担っていってくれた、
あの子を思い出しました。
小さな小さなあの子、
でも大きなものを流してくれたあの子、
あの子は小さな女の子でした。
さくらちゃんと名前をつけました。
(忘れたらかわいそうやよ、
いつも思い出しておやりよ)
おばあさんの言葉が私の中に染み込み、
それから、
さくらちゃんを忘れないで
いきている私です。
こんないい方、
嫌いな方も、
きっとおありでしょう。
でも、
わたしたちは、
いくつもの命を受け止め、
命を流しながらいきている。
亡くなった人達の思いや、
命を受け継いで生きている。
だから、
産めなかったあの子も、
生まれなかったあの子も、
生まれてから死んでしまったあの子も、
お腹の中でもう生きられなかったあの子も、
皆んな、
あなたが今をよりよくいきるために、
助けてくれていると思う事も出来るでしょう。
冒頭の友人の産科医は、
死産の赤ちゃんにも、
お母さんに抱いてもらうことにしていると
言っています。
(会えば家族になれる)
今までの医療では、
死んだ子供は無かった事
にしようとされていましたし、
家族も忘れようとしていたのです。
でも、
どんな子供も、
なんらかの役割を持って、
お母さんの体を通り流せない何かを、
もっていってくれたり、
新しい何かを
もたらしてくれたりしているのです。
とてもとても
悲しいけれど、
本当はお母さんも家族も、
忘れたいと思ってはいないのですね。
会って写真撮を撮って、
時間を共有してお別れするとみんな、
とてもいい顔になってゆくと
言う友人の顔もまたおだやかです。
思えば、
死、
という事自体、
流せない何かを
背負っていってくれているのです。
あなたが逝った事はあまりに悲しい。
長く時間をともにしていた人の死なら、
あなたに触れたり
言葉を交わしたりもう出来ないから。
ただ、
あなたが逝った事で、
新しいフェーズが始まっている。
あなた一人がこの世界から
旅立った事で、
わたしたちの生きている流れが
変わっているのです。
私が今まで出来なかった事、
自分を許せなくて、
自分にさせてあげられなかったことが
できるようになるかもしれない。
それは、
あなたが、
私が私であろうとする事を
妨げていた何かを
流していってくれたから。
人が生まれること、
人が死ぬこと、
生まれずに死ぬこと…。
受け止めていくには、
あまりにつらいことも多いけれど、
私の中を通ってくれたあなたのことは、
いつまでも覚えていようと思います。
毎朝毎晩、
さくらちゃん、
と呼びかけていようと思います。
(抜粋終わり)
これを読んで、
いつまでも、覚えていてもいいんだ。
と、
許された気持ちになりました。
私も、
時々、
思い出してあげたいと思いました。
そして、
しまってあった、
その子の
エコー写真を神棚に置きました。
成長したら、
胎盤と言われものになってただろう…、
出血した時に出てきたもの。
それを植えた鉢植えに、
旦那さんと、
二人で、
手を合わせてお祈りしました。
私も、
その小さな命に、
名前をつけていました。
久しぶりに、
その名前を口にしました。
いつまでも、
引きずってはいけないと、
どこか思っていました。
でも、
大切な事を教えてくれた、
あの小さな命を、
やっぱり
私も、
忘れずに行こうと思うのです。
悲しい時に、
悲しんでいい
寂しいと感じていい
と…。
かっこ悪いし、
情けないけど、
今は、
自然に元気になるまで、
そのままいようと思います。
(どんな時のどんな私でも大丈夫)
(どんな時のどんなあなたでも大丈夫)
読んでいただきありがとうございました
★blog、少しお休みします。
毎日のように書いて、
ちょっとバランス崩れてましたがな(笑)
お休みします…と書かないと、
ついつい書いてしまいそうで書きました。
でも、
他の方のは、
楽しみに見に行きます♡

