前回の記事を更新してからね。
調子よく、
記事を書いたはずだったのに…。


何だか、
その日の、
夕方あたりから、
上手く言えない、
ネガティブな気持ちが出てきて。

特に感じたのは、
寂しさのような気持ちでした。


ペアワーク

旦那さんがしてくれました。

それから、
早々に、
7時くらいに布団に入りました。

布団の中で、
ちょうど図書館で借りて、
まだ読んでなかった本がありましたので、
それを、
パラパラと読んでいました。



その本の、
ある部分が、
目に留まりました。


流せないものを流す

という部分。

(最近、
僕は、
妊娠した人皆んなに、
おめでとうというよ。

そして、
流産した人にも、
中絶した人にも、
(生まれましたよ)
と言う。

そうすると、
皆んなとても静かで綺麗なお母さんの顔になる。
それがとても大事なことだと思う)

(中略)

思えばその流産は
わたしにとって
大きな転機になっていました。

妊娠中絶、
流産をどのようにとらえるか、
人によって色々でしょう。

私は、
中絶や流産は、
自分一人では流せないものを、
〝子ども″が一緒に背負って流して
行ってくれるのだと思うのです。

生きて行くうえで、
何もかも、
良いことも悪いことも、
さらさらと流しながら
生きていきたいと思っています。

でも、
中々流せない。

こだわりとして
自分の中にいつまでも檻のように
残ってしまったり、
エゴの塊になって、
自分の心に蓋をしてしまったりします。

そういうときに、
流せない何かを流すための役割を持って、
からだに宿ってくれているものが
あるのではないかと思うのです。

わたしも当時、
思えばとても重たいものを抱えていたのでした。

ところが、
その流産のあと、
自分でも驚くくらい
人生の方向が変わって行くのです。

自分が流せなかったものが、
流れて行くのでした。

ああ、
おなかに宿って、
流れていったあの子が
一緒に流していってくれたのだなと、
本当にしみじみと思っていたのです。

(抜粋終わり)

著者の
三砂ちづるさんの、
他の本を
少し前に読み、
私、この本読んだ事があったかな?
と思う程、
シンクロするものがあったので、
また、
違うタイトルの物を、
なんとなく借りて置いたのでした。

一年ちょっと前に、
自分が、
流産を経験した時に、
感じた事と、
とても似た気持ちが書いてありました。

私も、
流産
で、
本当に、
自分の中が
一度、
肉体的にも、
精神的にも、
大掃除されたような感覚になり、

奥の奥の、
自分でどうしようも出来なかった気持ちを、
流産
を経験した事で、
引っ張りだしてもらった感じがして。
沢山、
泣きました。 

誰に向けてなのかもよくわからない、
込み上げてくる、
抑えきれない怒りもでてきました。

そういった物も、
泣いて、
泣いて、
泣く事で、
流れていった感覚が、
確かにあったのです。

流産が悲しくて辛いのか?

奥から、
引っ張りだされた感情を流すのに…
流産
という事を理由に
思いっきり、
泣いているのか?

どちらか、
よくわからない感じでした。

ただ、
泣いて、
感情を流したかった。

よくもこんなに、
涙が出るな、
という程、
その時は泣いたのです。


続く…。