新京成電鉄と泉北高速鉄道、合併で消滅 | 女装男子かなこのブログ

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京成グループの新京成電鉄と、南海グループの泉北高速鉄道は、4月1日付で、それぞれの親会社である京成電鉄と南海電気鉄道に吸収合併されました。


両社とも、親会社の影響を受けながらも、独自のカラーを出していました。





新京成電鉄は、旧日本陸軍の鉄道連隊演習線跡地を活用し、津田沼と松戸を結ぶ路線を営業するため、1946年に誕生しました。


路線は1947年の新津田沼~薬円台間を皮切りに、1955年までに順次開業しています。


車両は開業当初から京成電鉄の中古車を使用していたが、中古車が枯渇したことや将来の輸送力増強に備え、1971年から自前の車両を導入しました。





泉北高速鉄道は1965年、大阪府などが出資する第三セクターの大阪府都市開発として創立。


当初はトラックターミナルを運営する物流事業者でした。


その後、泉北ニュータウンへのアクセス鉄道路線を運営することになり、1971年に泉北高速鉄道線として開業しています。


当初から南海高野線との直通運転を念頭に置いていたため、車両は南海電鉄の車両と共通設計されています。


同社は、2014年に南海の子会社となった際、社名を路線名にあわせた泉北高速鉄道に改めました。


2013年、大阪府都市開発の筆頭株主だった府は保有株の売却方針を決定。


売却先の公募には南海も名乗りを上げ、泉北―南海間の乗り継ぎ運賃80円値下げを提案したものの、株式の買い取り額で上回ったアメリカの投資ファンド、ローンスターが優先交渉権を得ました。


だが、同社の提案では値下げ額が10円と低かったことで沿線自治体や住民から反発の声が相次ぎ、府議会も同社への売却案を否決。


その後、府は随意契約で南海への売却を決定し、2014年7月に南海の子会社となりました。


それから約10年を経て、完全に南海と一体化することになったわけです。


新京成と泉北高速が吸収合併されることとなった理由は類似しています。


京成では、「経営効率化や意思決定の迅速化によるシナジー効果の早期かつ確実な発揮」が理由だと説明。


南海は、「グループ経営の効率改善を実現し、サステナブルな公共交通の経営の実現、サステナブルな事業体制を目指す」としています。


つまるところ、同じエリアで、同じグループの会社が、同じ事業を展開しているという非効率的な状況を改善し、合併で親会社と子会社の組織を一つにすることで、エリア内での事業強化や将来に向けた体制作りを進めましょう、ということです。


新京成線は、合併後は京成電鉄松戸線となりました。


合併時点では運賃やダイヤの変更はありませんが、京成電鉄によると、元新京成車のデザインは京成仕様に順次変更していくとのことです。


ただ運賃体系については京成線、成田スカイアクセス線、千原線、松戸線と4種類が存在することになります。


駅番号は千原線のちはら台駅の続きでKS66新津田沼駅~KS88松戸駅となります。


また、同日には京成グループのバス事業も再編され、松戸新京成バス、船橋新京成バスの2社も、その他の京成グループのバス事業者とともに、新たな会社に統合されました。


これにより、新京成の名を冠する交通事業者は、3月31日をもって消滅しました。


泉北高速鉄道線は、合併後は南海泉北線となりました。


こちらはダイヤの変更はないが、一部の運賃が改定されました。


泉北線内のみを利用する場合の運賃は合併前と変わりませんが、泉北線内の駅とその他の南海電車の駅との間で乗車する場合、初乗り運賃の二重取り解消で大人普通運賃では最大150円の値下げとなります。


特急「泉北ライナー」の特急料金は変わりません。


泉北線のラインカラーは黄緑、駅番号は高野線・鋼索線の高野山駅の続きでNK88深井駅~NK92和泉中央駅になります。