北大阪急行電鉄の運賃は日本一安い、その理由 | 女装男子かなこのブログ

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北大阪急行電鉄(北急)は、大阪府北部の江坂駅(吹田市)と箕面萱野駅(箕面市)を結ぶ8.4kmのミニ鉄道です。


江坂駅でOsaka Metro御堂筋線と相互直通運転をして、千里ニュータウン(吹田市・豊中市)と大阪都心を結びます。


8.4kmのミニ鉄道だが、準大手私鉄として扱われています。


このうち、千里中央~箕面萱野間2.5kmが延伸したのは昨年2024年3月です。


箕面市議会の会議録によると、新設した箕面萱野駅の乗降客数は当初1日2.8万人見込みだったが、2024年4月と5月実績は2.1万人で、約8割に達したといいます。順調よく利用が伸びているのは何よりです。


ところで、この北急は、普通鉄道では「日本一安い初乗り運賃」としても有名です。





江坂駅から隣の緑地公園駅(豊中市)までの1区(2kmまで)はわずか100円。


Osaka Metroが190円、大株主である阪急電鉄が170円であるのと比べると格安です。


なぜ、北急の初乗り運賃はこんなに安いのでしょうか。


北急が開業したのは1970年。


今の千里中央駅(豊中市)の東側、吹田市北部で日本万国博覧会(大阪万博)が開催されたのにあわせて、大阪都心と会場とを結ぶアクセス鉄道として誕生しました。


大阪市が地下鉄御堂筋線の千里延伸に難色を示したこともあり、江坂駅以北は、阪急電鉄や大阪府などが出資する第三セクター鉄道会社が整備することになりました。


それが北急です。


現在も阪急が株式の54%、大阪府が25%を保有する大株主となっています。


ただ、当時の千里丘陵は雑木林の広がる未開発地域でした。


大阪万博の半年間の予想来場者数は3000万人とされていましたが、その後、北急の将来の経営はどうなるのか危ぶまれていました。


1970年の北急開業時の初乗り運賃は30円でした。


当時、大阪市営地下鉄と阪急、国鉄の初乗り運賃は30円で、北急と同額でした。


北急沿線住民は、北急と地下鉄と2回、初乗り運賃を払わねばならず、当時はかなりの割高感があったかと思います。


その後、70年代のオイルショック、物価高もあり、各社とも運賃値上げを実施します。


1976年は大阪市80円、阪急と国鉄60円。


1985年は大阪市140円、阪急90円、国鉄120円となりました。


一方、北急は1974年に40円に値上げした後、1985年まで同額で据え置いていました。


北急はなぜ、値上げをしなかったのか。


理由は3点あります。


一つは、大阪万博への来場者数です。


当初予想の倍以上の6421万人が訪れ、その3割強が北急を利用しました。


開業初年となる1970年度の北急の乗降客数は5540万人で、大幅な黒字を記録しました。


建設費の償還が順調に進んだのが最大の理由です。


2点目として、設備投資を抑制できたこともポイントです。


開業時から8両編成であったうえに、最新の自動列車制御装置(ATC)、無人変電所、自動券売機などの設備を導入していました。


ゆえに輸送力増強のための追加費用があまりかからなかったのです。


車両は当時増備が進められていた大阪市交通局30系と共通設計の2000系(8両編成5本+予備4両、後に8両編成1本を追加製造)、大阪市交通局に譲渡する前提で30系そのもので製造された7000系(ステンレス車両、8両編成5本、うち1本は2両編成×4)と8000系(アルミ車両、8両編成2本、現在の8000系とは無関係)で、設計コストを抑えることができました。


7000系と8000系は当初の予定通り、大阪万博の後は大阪市交通局に譲渡され、30系に編入されアルミ車両は御堂筋線で、ステンレス車両は四つ橋線で運用されました。


最後に、千里エリアの沿線の住宅開発が順調に進捗したことです。


開業翌年度の1971年から4年間は利用が低迷して巨額の損失を出します。


ですが、1975年度の乗降客数は3163万人で黒字に転換し、1985年度には同5715万人と万博開催時の数字を超えました。


沿線で予想以上の開発が進み、利用増で黒字幅が拡大しました。


このように、北急で低廉な運賃が保たれたのは、開業から十数年、運賃改定をする必要がない時期が続いたからです。


北急は、1980年代半ば以降、地下鉄御堂筋線の輸送力増強にあわせて、新型8000系を投入し、1995年から10両運転をスタート。


あわせて駅で自動改札機やエスカレーターの設置も行いました。


エレベーターも整備し、他社より早くバリアフリー化を完了しました。


この設備投資にあわせ、初乗り運賃は1986年に50円、1989年に60円、1995年に80円と値上げします。


それでも、1997年の阪急の初乗り運賃は150円、大阪市が200円でしたから、安さは際立ちます。


それでも北急の初乗り運賃は2014年に90円、2017年に100円と上がります。


新型9000系への置き換えや駅施設の改修、可動式ホーム柵の設置を理由としました。


値上げの原因が明確だから、利用者も納得できます。


90年代後半から低迷していた輸送人員も回復していきます。


前後して北急は2016年に千里中央~箕面萱野間の新線工事に着手します。


工事の見直しで開業が3年遅れの2023年度末に延期されたうえ、事業費も600億円から874億円に膨れあがりました。


事業費の多くは大阪府や箕面市、国が担いますが、北急も110億円を負担しています。


もしかしたら、北急は大幅な運賃値上げに踏み切るかも……と心配されましたが、2025年現在も初乗り運賃は100円のままです。


新線区間の千里中央~箕面萱野間については、加算運賃60円が加算されることになりましたが、それでも初乗り160円で済みます。


開業から1年が経ち、箕面船場阪大前駅は大阪大学箕面キャンパスと近接した新しい街区の中心となりつつあります。


終点の箕面萱野駅は、商業施設みのおキューズモールとつながると共に、阪急バスなどとの乗り換えがスムーズな新しい交通拠点となりました。


大阪万博と北急開業から55年が経ち、大阪湾岸では大阪・関西万博が開催されます。


さらなる飛躍を遂げる北急沿線、JR西日本大阪駅や新大阪駅も近い場所にあるので、ぜひ大阪に来たついでに訪ねてみてはどうでしょうか。