1975年1月、テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」(毎日放送)が放送スタートし、2025年で50周年を迎えました。
番組はまずはNET(日本教育テレビ、現在のテレビ朝日)系で放送され、大阪ネットチェンジ(毎日放送と朝日放送のネット交換)を前にした3月で終了しますが、1976年1月からTBS系で再スタートし、レギュラー番組としては1994年9月まで(関東地方)長く愛される国民的アニメとなりました。
TBS系での放送時間は土曜夜7時でした。
1970年代後半のTBS系ゴールデンタイムは、7時からの「まんが日本昔ばなし」、7時30分からの「クイズダービー」、8時からの「8時だョ!全員集合」、9時からの「Gメン75」と、いずれも高視聴率を挙げた鉄壁の編成でした。
現在でも、「まんが日本昔ばなし」はTBS系アニメの最高視聴率と最長放送期間の記録を持っています。
ただ、放送期間の記録については、終了した時点では「サザエさん」(フジテレビ)に次いで2位だったが、現在ではベスト10にも入っていません。
それどころか、テレビアニメの放送期間の長さベスト10にはTBS系のアニメは一切入っていません。
また、TBS系はゴールデン・プライムタイムからアニメが消滅したのが民放キー局系で最も早く、1994年4月にこの「まんが日本昔ばなし」の放送時間が変更されたからでした。
「まんが日本昔ばなし」はゴールデンタイムから外された後は再放送が多くなり、最終的にはフェードアウトのような形で終わりました。
制作局の毎日放送では2000年ごろまで放送されました。
「まんが日本昔ばなし」を制作したグループ・タックも2010年に倒産しました。
ところで、タイトルを見て「番組は『アニメ』なのに、なぜ『”まんが”日本昔ばなし』なの?」という疑問を持ちませんでしたか?
「まんが」といえば、紙の本を思い浮かべる人が大多数でしょう。
実はこれには明確な理由があります。
「『アニメ』のことを、かつては『テレビまんが』と呼んでいたから」なのです。
例えば、映画「東映まんがまつり」も同じ理由になります。
では「テレビまんが」という言葉は、なぜ生まれたのでしょう?
「まんが」はそもそも紙の印刷物で見るというのが常識です。
そのまんがをテレビ番組にしたので「テレビまんが」と呼んだわけです。
つまり、まんがをセル画に描いてフィルムに写して動かしたアニメも、まんがを実写・特撮で映像化した「ウルトラマン」「仮面ライダー」なども含めて、子供対象のヒーロー番組のほとんどが「テレビまんが」としてくくられたのです。
「アニメ(animation)」は、もともと複数の静止画像を用いて動きを作る技術の総称で、1963年に手塚治虫先生が「鉄腕アトム」(フジテレビ)をテレビ放送する際には、すでに「アニメ」と呼んでいたそうです。
しかし「アニメ」はいわゆる業界用語なので、一般的ではありませんでした。
時代が変わったのは1975年以降の「アニメブーム」です。
この年、「宇宙戦艦ヤマト」(日テレ)が再放送でブレイクするのをきっかけに、雑誌などで「アニメ」という単語が使われはじめます。
1978年には「月刊アニメージュ」というアニメ専門誌が登場し、1979年「機動戦士ガンダム」(名古屋テレビ)のブーム以降は、「テレビまんが」という用語は消えて行きました。
簡単な説明でしたが、アニメなのに『「まんが」日本昔ばなし』の理由がお分かりいただけたでしょうか。
最後に、「まんが日本昔ばなし」のトリビアをいくつかご紹介しましょう。
●1975年1月、第1回第1話は「こぶとり爺さん」。
●再スタートの1976年1月、第1回第1話は「一寸法師」。
●1994年8月まで1466話放送。
日本には昔話(民話や寓話など)が約6万話はありますが、放送したすべての話が日本の昔話かは不明です。
倫理上不可能な内容もかなり存在するため、脚色したものは多々あると思われます。
完全な創作もあるようです。
●全話の声優は、市原悦子さんと常田富士夫さん(ともに故人)のふたりだけです。
収録当日、台本を見ながらパート分けされ、リハーサルで映像を1度見て本番。
市原さんいわく「何でもかんでも、動物、人間、鉱物、植物、そこらへんに転がっている石、う○こ、それまで声にしますよ」。
最大で、1話中に10人以上をひとりで演じたというそうです。
●エンディング曲は「にんげんっていいな」が有名ですが、7曲変わっています。