江戸時代に、江戸と大坂を結ぶ東海道に57の宿場「五十七次」が完成して今年で400年になるのを記念したイベントが11月17日、大阪府枚方市の淀川河川公園で開かれました。
東海道の宿場の数については、歌川広重が浮世絵「東海道五十三次」に江戸・日本橋から京都・三条大橋までを描いたことで、「53」と広く知られるようになりました。
だが、江戸時代後期に各宿場の規模などを記した「東海道宿村大概帳」には京都から大坂の伏見、淀、枚方、守口の四つを合わせた「57」の宿場が記載されています。
この日のイベントは、東海道最後の宿場の庄野宿(三重県鈴鹿市)が整備されて400年の節目を記念して開かれました。
11月2~4日に復活放送された「ブラタモリ」(NHK)でも取り上げられたが、歌川広重が「終点は京都の方が絵が売れる!」というようなことで終点は三条になった、三条大橋は完成当初から石造りだったのに広重はそれを知らず、想像で三条大橋を木造で描いていたそうです。
今回放送された特番のテーマは「道」。
タモリさんが「東海道五十三次」ならぬ「東海道五十七次」を歩きました。
「東海道五十三次」とは、江戸時代に整備された五街道のひとつである東海道に置かれていた53の宿場町のことです。
江戸の日本橋から京都の三条大橋までの道のりを指します。
実は東海道には大津から分かれ、伏見を通って大阪の高麗橋にいたる「東海道五十七次」もありました。
今回の特番では、この東海道五十七次を歩くということで、京都がスタート。
放送の内容は次の通りでした。
・第一夜:京都・三条大橋から伏見へ
・第二夜:京都競馬場と石清水八幡宮へ
・第三夜:ついにゴールの大阪へ!
番組はさすが「ブラタモリ」といえる、とても興味深いものでした。
ところで、「東海道五十三次」を描いた浮世絵師は誰?と聞かれて、「安藤広重」と答える中高年層は多いでしょう。
この名前を巡っては、世代間でギャップがあります。
その理由は、教科書の記載が「歌川広重」に変わったからです。
当人が「安藤広重」と名乗っていたわけではありません。
昭和の終わり頃になって、「おかしいだろう」ということになったらしいです。