アラン・ドロンさん死去 | 女装男子かなこのブログ

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映画「太陽がいっぱい」などで知られるフランス🇫🇷の俳優、アラン・ドロンさんが死去しました。


88歳でした。


フランスの複数メディアが伝えました。


現地報道によると、18日に親族が明らかにしました。


アラン・ドロンさんは1935年11月8日、パリ郊外のセーヌ県ソーで誕生。


1957年、フランス映画「女が事件にからむ時」でデビューしました。


その後、「太陽がいっぱい」(1960年)で殺人犯を演じて一躍世界的スターになりました。


「地下室のメロディー」(1963年)「山猫」(1963年)「冒険者たち」(1967年)「ボルサリーノ」(1970年)など多くの作品に出演。


60年代にスターに上りつめました。


2017年には引退を表明しました。


「もうこの年だ。人生の終わりではないが、キャリアの終わりだ」とフランスメディアに漏らしていました。


その後の2019年には、第72回カンヌ国際映画祭で映画界への長年の功績をたたえられ名誉「パルム・ドール」が贈られました。


日本では「美男俳優」「二枚目スター」「美男子」の代名詞として知られた20世紀を代表するフランスの名優が旅立ちました。


1977年には、この年に歌手デビューした榊原郁恵さんが「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」という曲を歌い、テレビCMでは水谷豊さんが出演した「S&Bポテトチップ」(エスビー食品)のCM内でライバルとして名を挙げるなど世界の「二枚目」の代表格として定着。


漫画の中にも「こちら葛飾区亀有公園前派出所」などさまざまな作品に登場しました。


また、三遊亭小遊三さんのネタ「いないいな~い、アラン・ドロン!」でも有名で、このネタがきっかけで知ったという世代も多いです。


ネット上でも世界的名優の悲報に「小遊三の顔が浮かんだ」「小遊三が悲しむ」などのコメントが多く寄せられました。


さらに、谷隼人さん、田村正和さん(故人)、草刈正雄さんら日本の二枚目俳優がたびたび「和製アラン・ドロン」と形容されました。


フランスではラファエル・ペルソナが「アラン・ドロンの再来」「アラン・ドロン2世」として注目を浴びました。


映画評論家で独特なキャラクターが人気を集めた「小森のおばちゃま」こと小森和子さん(故人)は熱狂的なドロンさんのファンとして有名。


端正なマスクと影のある演技で「人類史上最も色気のある俳優」として日本でも愛された20世紀を代表する名優でした。


世界を代表する銀幕スターは、日本とも関連が深かったです。


1971年公開の「レッド・サン」では、三船敏郎さん(故人)、チャールズ・ブロンソンさん(故人)と共演。


世界3大スターの共演は世界で大きな話題となりました。


三船さんが怪力の侍、ドロンさんはブロンソンさん演じる強盗と手を組みながら、後に裏切るという二面性のある役を演じました。


ドロンさんがキャスティングされたのも、「太陽がいっぱい」で火が付いた日本での人気の高さが大きな理由でした。


三船さんとの接点は、その後も続いたというそうです。


1971年には、日本のファッションブランド「ダーバン」(レナウン)のテレビCMに出演しました。


兄のように慕う三船さんからの説得に応じての出演でした。


CMではスーツ姿の美しいシルエットで、大きな反響を呼びました。


このCMがあまりにも強烈な印象を残したので、当時はダーバンをフランスのブランドと誤認していた人も多くいました。


2007年10月には、バラエティー番組「SMAP×SMAP」(フジテレビ)の人気コーナー「ビストロSMAP」にゲスト出演。


フランス・マルセイユの漁師料理ブイヤベースなどに辛口の感想を語り、調理を担当したSMAPの面々を凍り付かせました。


一方で、メンバーに「若くいるために実践してほしいことがある。女性と付き合ってください」と呼びかけ、若さを保つ秘けつを“伝授”していました。


私生活では、日本人女性と長く事実婚状態にありました。


長くドロンさんの日本語吹き替え版声優を務めた野沢那智さんは、2010年に肺がんのため死去しました。