NTT東日本・西日本は7月19日、電話帳(タウンページなど)と104番の番号案内を終了すると発表しました。
2026年3月末をもって終了となります。
電話帳や104番はこれまで電話番号を調べる手段として提供されてきましたが、電話番号の検索方法の多様化、タウンページへの広告掲載数の減少、番号案内の利用数の大幅減を踏まえ、紙資源消費削減の観点からも終了するとしています。
電話番号案内は1890年に電話交換業務が始まったのと同時に始まりました。
1953年には市内番号案内が104番、市外番号案内が105番となり、紙の番号簿を利用してオペレータが回答していました。
1986年にはコンピュータによる案内業務が開始されました。
1989年には全国の電話番号を104番で受け付けるようになり、この時期が問い合わせ件数ではピークになっていました。
電話帳・番号案内の終了後はNTTタウンページがネット上で提供する「iタウンページ」で電話番号の検索が可能です。
タウンページは2024年12月までは全職種を掲載した紙媒体で発行し、2025年1月から2026年3月までの最終版は、職種を絞った冊子版と、ネット上で全職種を閲覧できるWeb版を提供予定です。
なお目の不自由な人向けの「点字電話帳」は継続して提供し、障害者向けの無料の電話番号案内「ふれあい案内」も継続するとしています。
ちなみに固定電話番号を五十音順で掲載した「ハローページ」は、2023年2月をもって発行を終了しています。
日本で初めて電話帳が発行されたのは明治23(1890)年です。
「電話加入者人名表」という197人の電話番号と名前が掲載された1枚の紙でした。
当時は電話そのものが珍しく、加入者が少なかったです。
電話番号1番の東京府庁から始まり、官公庁や新聞社、銀行に交じって、渋沢栄一や大隈重信など、近代日本を代表する人物の名前が並んでいました。
1983(昭和58)年に電話帳の愛称を一般公募し、職業別電話帳「タウンページ」と、50音別電話帳「ハローページ」(企業名編&個人名編)の名称が決定しました。
電話帳を使って自分と同じ名字、珍しい名字を探して遊んだ思い出のある人が、とても多いです。
今では個人情報が問題になるが、昔はこんなふうに開けっぴろげでした。
学校ではプライバシー保護の点から住所と電話番号の掲載された生徒名簿がほとんど廃止、連絡網は固定電話を持たない保護者が増えたから廃止、代わりに学校から一斉にメールが送られるようになりました。
有名人でさえ、プロ野球の選手名鑑やタレント名鑑に住所が掲載され、ファンレターの送り先が自宅だったり(中には住所を公表しない人もいて、その場合は「球団気付」「所属事務局気付」になっていた)、芸能人に弟子入りするのにその人の家🏠️に直接行ったりしました。
引っ越すと警察官が家に来て、家族構成や勤務先などいろいろ聞かれたりしました。
こうして管内の家庭のデータを帳簿にまとめ、防犯活動の基礎にしていました。
いわば「昭和」という時代は、個人情報を社会で共有していた時代でした。
また、昔はテレビで力自慢をするのに、電話帳を真っ二つに破るというのがありました。
プロレスラーのディック・ザ・ブルーザーが実際に電話帳を真っ二つに破るというパフォーマンスをしていました。