生放送 | 女装男子かなこのブログ

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6月16日放送の長寿番組「NHKのど自慢」で、出場者に思わぬハプニングが発生。


この日、岡山県吉備中央町から生放送を行った「NHKのど自慢」。


様々な出場者が自慢の歌声を披露するなか、11番目に27歳の看護師の女性が登場。


腹話術が趣味だという彼女は人形と共にステージへ上がりました。


そして、「唱」(Ado)を歌いました。


歌い出しから力強い歌声を轟かせたこの女性。


歌唱中に腹話術もしてみせたが、突如アクシデントに見舞われることに。


女性は歌いながら、人形の着ていた黒い上着を脱がせ、スパンコールを散りばめた赤いドレスに早着替えさせるというパフォーマンスを披露。


ところが早着替えの勢いが余って、人形の首が突然取れてしまったのです。


人形の首は床に転がり、思わず女性も「わー!」と絶叫。


会場で笑いが起こるなか、女性は人形の首を元に戻して観客の手拍子に合わせて歌い続けました。


腹話術で歌うことも忘れなかったが、奮闘に反して鐘は2個鳴ったのみでした。


女性は大笑いすると、司会の二宮直輝アナウンサーも「お伝えしたいことが渋滞しておりまして!」と駆け寄りました。


二宮アナがハプニングを一つ一つ整理しながら話すと、女性も会場も大笑い。


そして二宮アナが「今日は頑張ったね」と人形に語りかけると、人形は「調子が悪かったけど頑張りました」とコメント。


「もう笑うしかない!」と女性が話すと二宮アナは「非常に盛り上がりました!」と言い、会場では大きな拍手と歓声が起こりました。


日本中が注目する舞台で、腹話術の人形の首が取れるという突然のアクシデント。


この様子は視聴者の間で大きな話題となり、Xでは感想がこう上がっていました。


《のど自慢の腹話術師、人形の首が落ちたシーンが想像以上に放送事故だった》

《のど自慢の腹話術人形の人 放送事故過ぎ でも首取れてめっちゃ焦ったやろな》

《のど自慢の放送事故が本当に放送事故でびっくり&笑った》

《やっぱり長寿番組は面白い。今日ののど自慢の放送事故は面白すぎる。歌唱力がしっかりあるから優しい目で爆笑出来る。是非リベンジが見たい》

《腹話術で人形の首落下したけど歌い続けたのすごいです。上手でしたし。個人的特別賞》


翌日、「NHKのど自慢」のXアカウントは見逃し配信を勧める投稿で《腹話術で歌う #唱 では大ハプニングも》と驚いた表情の絵文字と共に投稿していました。(現在は配信終了)


こんな突然の出来事を楽しめるのも、生放送の醍醐味かもしれません。


ネット上では「放送事故」と上がっていたが、番組自体は正常に放送されたので、放送事故にはなりません。


9月15日放送の「NHKのど自慢」(宮崎県宮崎市から生放送)でも、ゲストの小林幸子さんが相次ぐハプニングに見舞われました。


3人目の男性出場者によるSUPER BEAVERの「人として」の歌唱を体を揺らしながらリズムをとりながら笑顔で聞いていたが、突然、イスから転げ落ちる場面がバッチリ映り込んでいました。


このハプニングに周りにいた出場者、もうひとりのゲストの徳永ゆうきさんらが手を貸すと、すぐに立ち上がり、頭を下げてお礼を述べる姿も映りました。


背後でのこの騒動をよそにこの出場者には鐘が鳴り、合格。


司会の廣瀬智美アナウンサーが「歌声に驚いて…幸子さん」と呼び掛けると、小林は「つるんと後ろに…」と照れ笑いした後で「ずっといいな、いいな鐘が鳴ってほしいなと思っていたら良かった」と祝福しました。


その後、番組終盤で新曲「オシャンティ・マイティガール」をノリの良い振り付き歌っていたところ、今度は小林さんを映していたカメラマンが転倒。


映像が一時乱れるハプニングが起きました。


小林幸子さんは「大丈夫ですか?」と心配そうに声を掛けた後、舞台袖の方を向き、「大丈夫です」とうなずきながらほかのスタッフに伝えるシーンもありました。


その後は何事もなかったようにすぐに曲に戻り、ノリノリで歌い上げました。


ネットでは、

「幸子さんだからこそあの対応がとれた。素晴らしいです」

「自分で転倒した後でカメラマンが転ぶなんて」

「生放送らしいハプニングが2つも起きるのはさすが」

「幸子さん、もっています」

など、異例の事態にも笑顔を絶やさなかった小林さんをたたえる声が上がっていました。


かつてはたくさんあった生放送の番組だが、今ではニュース、ワイドショー、スポーツ中継を除くと少なくなっています。


1953年、日本でテレビ放送が始まったが、当初はほぼ全ての番組が生放送でした。


当時のテレビ📺️は技術的にも未熟で、特にドラマは内容、技術ともに映画🎥の敵ではありませんでした。


しかし、録画機材の発達などとともに、生放送の番組は少なくなりました。


現在、生放送されるている番組はニュース、

ワイドショー、 スポーツ中継を除くと「NHKのど自慢」のほかは「うたコン」(NHK)「ミュージックステーション」(テレビ朝日)ぐらいです。


それでも、

「NHK紅白歌合戦」「ゆく年くる年」「ライブ・エール」「わが心の大阪メロディー」(NHK、「わが心の大阪メロディー」は大阪放送局制作)

「24時テレビ 愛は地球を救う」「日テレ歌の祭典ベストアーティスト」「女芸人No.1決定戦THE W」(日テレ)

「ベストヒット歌謡祭」(読売テレビ)

「輝く!日本レコード大賞」「オールスター感謝祭」「音楽の日」「笑いの日」(TBS)

「FNS27時間テレビ」「FNS歌謡祭」「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」「爆笑ヒットパレード」(フジテレビ)※「FNS27時間テレビ」は2017・18年は録画放送

「ミュージックステーションSUPER LIVE」(テレビ朝日)

「M-1グランプリ」(朝日放送テレビ)

など、年に1~2度の特番は今でも生放送というものが多いです。


また、通常は録画放送されている番組でも臨時で生放送することがあります。


「ザ・ベストテン」(TBS)「ザ・トップテン」(日テレ)といったランキング形式の音楽番組も生放送されていました。


出演する歌手は基本的にランキング下位から順に登場するが、スケジュールの関係で順番を入れ替えたり、各地から中継で登場することがありました。


「ザ・ベストテン」はあくまで生演奏、生歌にこだわる方針だったため、基本的に事前収録やミュージックビデオの使用はしませんでした。


早見優さんが、6月21日放送の「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBS)に出演し、アイドル時代の超多忙な逸話を語りました。


その中で、当時16歳(高校2年)の1983年、「ザ・ベストテン」には堀越高校の林間学校で訪れていた秋保温泉(宮城県)から生中継で出演していたことを明かしました。


「『夏色のナンシー』がチャートアウトしてスケジュールが空いたので、マネジャーさんが『林間学校行っていいよ』って言われたけど、突然電話かかってきて」と振り返っていました。


「夏色のナンシー」はなんとランク外に落ちた後、ベスト10に返り咲き。


早見さんは林間学校の真っ最中だが、それでもオファーを受けて出演しました。


番組では当時の映像が流され、司会の久米宏さんが「早見優さんは宮城県の秋保温泉にいらっしゃいまーす!」と紹介。


黒柳徹子さんも「課外授業のところ、こんなところまで追っかけてごめんなさいね」と謝罪しました。


クラスメートがホテルの窓から見守る中、「夏色のナンシー」を熱唱しました。


1980年代はアイドルの時代でもあったが、アイドルの多くは現役の高校生で、芸能活動をしながら高校にも通っていました。


芸能人が多く通う高校には堀越高校(東京都中野区)、目黒日本大学高校(東京都目黒区、旧校名は2019年までは日出高校、2005年までは日出女子高校)があるが、かつては明治大学附属中野高校(東京都中野区)にも定時制があり(現在は廃止)、こちらにも多くの芸能人が通っていました。


1980年代はゴールデン・プライムタイム(夜7~11時)でも生放送の番組が多かったため、夜間に授業がある定時制では芸能人にとって多忙なスケジュールの合間を縫って授業を受けるため両立が難しく、そのため明治大学附属中野高校の定時制に通っていた芸能人はほとんどが中退しており、全日制で中退者が少なかった堀越高校、目黒日本大学高校とは対照的です。


「8時だョ!全員集合」(TBS)では生放送中に火事🔥や停電が発生したことがありました。


「8時だョ!全員集合」で舞台狭しと繰り広げられたドタバタコントは、公開生放送だったので徹底してリハーサルを繰り返し、意外なことに本番ではアドリブが禁止でした。


ザ・ドリフターズのプロ魂を感じさせますが、そのプロ魂が番組の人気を支えました。


「8時だョ!全員集合」が終了したのは1985年9月だが、終了した理由は裏番組の「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)に視聴率で負けたからではなく、生放送での作り上げたコントが時代に合わなくなってきたからでした。


実際、ザ・ドリフターズもスタッフも「オレたちひょうきん族」を意識していませんでした。


かつて大晦日の夜には「NHK紅白歌合戦」「輝く!日本レコード大賞」に加え「年忘れにっぽんの歌」(テレビ東京)と生放送の大型音楽特番が3本も放送されていました。


特に、「レコ大」は午後9時の少し前に終了、「紅白」は午後9時開始だったので、続けて見る人も多く、レコード大賞を受賞した歌手は「紅白」で司会者が「レコード大賞おめでとう🎉!」と言うのがいつしか定番になりました。


これらの番組を掛け持ちで出演する歌手も多かったです。


特に「レコ大」に出た歌手は「紅白」の会場であるNHKホールにパトカー🚓と白バイ警官👮‍♂️に先導されて移動したほどです。


それだけ、「紅白」の重みを感じさせます。


「年忘れにっぽんの歌」は演歌や懐メロが中心だったので、3番組の掛け持ちは演歌歌手に限られました。


しかし、1989年に「紅白」が放送時間を拡大して午後7時台スタートとなり、これが定着して状況は一変しました。


「レコ大」は放送時間が「紅白」と重複し、さらに旧ジャニーズ系の歌手が出演しなくなったことから視聴率が低迷するようになり、2006年からは放送日が12月30日に変わりました。


「年忘れにっぽんの歌」は会場の都合もあって、2014年を最後に生放送を打ち切ってしまいました。


かつてはNHKだけでなく、民放も全ての局で「ゆく年くる年」が生放送されていました。


民放版「ゆく年くる年」は東京キー局が輪番で制作していました。


ただし、フジテレビはスポンサーの関係上、参入が1971年と遅れました。


大晦日の夜は家族が一緒になって過ごす時間でもあり、子供たちにとっては親公認で夜更かしが許された貴重な時間でもありました。


しかし、制作費の高騰や民放各局が同じ番組を一斉に放送するという放送形態が時代に合わなくなったこともあり、民放版「ゆく年くる年」は1988年(テレビ朝日制作)で終了しました。


奇しくも昭和最後の年越しでした。


「NHK紅白歌合戦」は長年続く生放送番組とあって、紅白の歴史はハプニングの歴史?でもあります。


かつて、放送中に起こった“放送トラブル”を振り返ります。


◆交通事故で急きょ代役


1952年の第2回、出場歌手の松島詩子さん(故人)がスタジオに向かう途中で事故にあったため、越路吹雪さん(故人)が急きょ出演。


当時は事前に出場者が発表されない形式だったため、越路さんが代役であることは、最初、気付かれなかったが、その後番組中に松島さんの経過報告が届いたことで事故が明るみになりました。


なお、第2回はまだテレビ放送が行われずラジオのみであり、大晦日ではなく正月の放送で、出演する歌手は事前に発表されず、生放送中にその場で発表されていました。


 ◆森進一、「社会の窓」開いたまま熱唱


1974年の第25回、初の大トリを務めた森進一さんだったが、熱唱中にズボンのファスナーが開いていました。


これに気付いた森さんは、さりげなく閉めました。


◆三波春夫(?)が「受信料払って」


1982年の第33回、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが紅白のベテランである三波春夫さん(故人)に扮(ふん)して、曲中に「受信料は払いましょう!」「裏番組はビデオで!」と呼びかけました。


◆壇上でギター炎上


1985年の第36回、トップバッターの吉川晃司さんがシャンパンをまき散らしたり、ギターにオイルをかけて燃やしたりとステージ上で大暴れ。


床が濡れた影響で、その後、登場したシブがき隊の布川敏和さんが2度転倒する事態となりました。


◆「少年隊で『仮面ライダー』」


1986年の第37回、白組司会の加山雄三さんが少年隊の曲のタイトル「仮面舞踏会」をうっかり「仮面ライダー」と紹介。


◆長渕、ずっと歌う


1990年の第41回、長渕剛さんが中継先のベルリンからひとりで3曲歌唱。


15分以上歌い続けたうえに、現地入りしたNHKスタッフを「タコばかり」と非難しました。


◆モックンのコンドームネックレス


1992年の第43回、本木雅弘さんが大量のコンドームをネックレスのように首からぶら下げて出演。


なかには白い液体が詰まっている手の込みようでした。


◆米米、ステージ落下


1996年の第47回、米米CLUBのボーカルのカールスモーキー石井さんが「浪漫飛行」を披露した際にステージから客席に転落しました。


◆“全裸”ダンサーに弁解


2006年の第57回、DJOZMAが女性バックダンサーの脱ぎパフォーマンスを敢行。


実際は裸体に見えるボディースーツを着ていたのだが、抗議が殺到して、番組中に総合司会の三宅民夫アナウンサーが「裸ではない」と説明しました。


◆大島優子がAKB卒業をサプライズ発表


2013年の第64回、AKB48大島優子さんが、グループからの卒業を電撃的に発表。


メンバーと一緒に「恋するフォーチュンクッキー」を歌い終えて、自らがセンターを務める「ヘビーローテーション」を歌う直前、突然切り出して、サプライズで卒業宣言しました。


場内は騒然とした空気に包まれました。


◆金爆が芥川賞又吉と相撲


2015年の第66回、ゴールデンボンバーは4年連続で「女々しくて」を歌いました。


曲途中で樽美酒研二さんが赤いまわし姿に変身。


土俵が登場し、審査員席のピース又吉直樹さんが土俵に上げられ、着物を脱がされると緑のまわし姿でした。


相撲の勝負で勝った樽美酒さんが担ぎ上げられ、撞木(しゅもく)代わりに除夜の鐘を突くパフォーマンス。


最後は又吉さんが芥川賞受賞作「火花」と書いた紙を掲げて締めくくりました。


◆欅坂がパフォーマンス後に倒れ込む


2017年の第68回、欅坂46メンバーがパフォーマンス後に倒れ込むハプニングがありました。


総合司会の内村光良さん(ウッチャンナンチャン)とのコラボレーションパフォーマンスの終盤、鈴本美愉さんが後ろに倒れそうになり渡辺梨加さんに支えられました。


歌唱後、平手友梨奈さんもステージで崩れ落ち、志田愛佳さんも倒れ込みました。


3人はメンバーに抱えられながら退場して舞台裏に運ばれました。


過呼吸のような状態でした。


◆ユーミンが桑田にチュー


2018年の第69回、サザンオールスターズが大トリ(最終歌唱者)として登場しました。


桑田佳祐さんらは「勝手にシンドバッド」を披露。


さらに、松任谷由実さんとも“夢の競演”を果たしました。


ユーミンは腰をくねらせて踊りながら、桑田さんに近寄りました。


桑田さんは「胸さわぎの腰つき~」と歌いながら、何度もユーミンの肩や腰を抱き寄せました。


桑田さんが「ラララララユーミンさん」と歌いかけると、ユーミンも「ラララララ桑田君」と応じました。


2人は密着しながら踊り続け、ユーミンが桑田のほおに口づけするシーンも。


会場は最高の盛り上がりを見せました。


◆欅坂の平手がかつがれながら舞台袖へ


2019年の第70回、欅坂46が紅白では2年ぶりに「不協和音」を披露し、リベンジを果たしました。


2017年に「不協和音」をパフォーマンスした際、総合司会の内村光良さん(ウッチャンナンチャン)とのコラボ企画でも再び同曲を披露したが、歌唱後にメンバー数人が過呼吸のような症状で倒れ込む事態となっていました。


この年はセンター平手友梨奈さんら21人でキレキレのダンスパフォーマンスを披露。


ラストは平手さんが笑みを浮かべながらポーズを決め、大歓声を浴びました。


内村さんからは「よくやった! すばらしかった! 新『不協和音』だ!」と絶賛されました。


オンエア上では、ラストのポーズを決め、肩で息をするセンターの平手さんの頭を田村さんがなでて、出番を無事に終えました。


パフォーマンスで力を出し切った平手さんは、オンエア後、退場する際に、メンバー数人にかつがれながら舞台袖へと運ばれていきました。


 ◆NiziUがマイクトラブルも


2020年の第71回、9人組ガールズグループNiziUが初出場し「Make you happy」を堂々披露。


だが、イントロ開始時、1列に並ぶ際に、トラブルが起こったのか、MAYUKAが不在というハプニング?が発生。


だが、歌唱開始時には、9人がしっかりそろっており、パフォーマンスを披露しました。


メンバー全員がそろわなかったことに、NHK広報局は「MAYUKAのマイクトラブルでスタンバイが遅れました」などと説明しました。


◆史上初の非公開放送


生放送中のハプニングではないが、2020年の第71回は新型コロナウイルスの感染拡大で史上初の非公開で生放送され、観覧席はがら空きでした。


◆藤井風が岡山の実家から“ワープ”


2021年の第72回、テレビの生放送初歌唱となった藤井風さんが、サプライズで会場に現れました。


岡山の実家での収録で「きらり」を披露すると、映像が切り替わり、東京国際フォーラム(同年はNHKホールが改修工事のため、東京国際フォーラムから生放送された)のステージに登場。


審査員の石川佳純さんをはじめ、司会の大泉洋さんや川口春奈さんまでも「ええ?」と驚く中、「燃えよ」をピアノの弾き語りで披露。


藤井さんは「すいません、来ちゃいました。会いたくて」。


さらに大トリのMISIAさんのステージでは、藤井さんが楽曲制作した「Higher Love」を初コラボして、初紅白の舞台を締めくくりました。


 ◆Vaundyが「そんなもんかい、紅白!」と煽り


2022年の第73回は初出場のVaundyさんが「怪獣の花唄」を歌唱し、「おもかげ」でmiletさん、Aimerさん、幾田りらさんとコラボ出場と席巻しました。


会場では「そんなもんかい、紅白。行けるよな。行くぜ、ニッポン!」と観客らを煽り、紅白を盛り上げました。