中尾彬さん死去 | 女装男子かなこのブログ

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映画、ドラマのほかバラエティー番組でも活躍した俳優の中尾彬(なかお・あきら=本名同じ)さんが心不全で5月16日に死去しました。


81歳でした。


ダンディーな声に鋭い眼力。


強面の俳優として悪役キャラも演じてきた一方で、首にストールを巻く「ねじねじ」スタイルのファッションなど、バラエティーで見せるチャーミングなキャラクターでも人気を博した中尾さんが天国に旅立ちました。


関係者によると、近年は体調に波があり、調子を崩し寝込んだりすることもあったというそうです。


中尾さんは、2007年3月に急性肺炎のため緊急入院。


筋肉の痛みなどを生じる「横紋筋融解症」や急性腎不全、肝機能障害、不整脈なども併発し一時はICU(集中治療室)に入るなど予断を許さない状況が続いたこともあったが、奇跡的に復帰。


以降は体に無理のないペースでの活動を続けており、今月発売の雑誌ではインタビューに応じるなどしていました。


中尾彬さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。


武蔵野美術大学在学中の1962年に日活第5期ニューフェイスに合格。


フランス🇫🇷留学を経て、劇団「民芸」に入団しました。


1964年に日活映画「月曜日のユカ」で主演・加賀まりこの相手役としてデビューしました。


その後も、映画「本陣殺人事件」「極道の妻たち」「ゴジラシリーズ」「アウトレイジ ビヨンド」「翔んで埼玉」やテレビドラマ「龍馬がゆく」「新・平家物語」「炎立つ」「義経」「龍馬伝」(NHK大河ドラマ)「下町ロケット」(TBS)「ドクターX~外科医・大門未知子~」「暴れん坊将軍」(テレビ朝日)「GTO」(フジテレビ)「どんど晴れ」(NHK連続テレビ小説)「ハゲタカ」(NHK)などに出演、舞台などでも幅広く活躍しました。


近年はバラエティー番組や情報番組にも数多く出演し、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで人気を集めました。


こだわりが強く、オシャレにも人一倍気を遣っていました。


特にネクタイが嫌いで、夏でもマフラーやストールを欠かさしませんでした。


ねじって首元に巻くのがトレードマークで、「彬巻き」「ねじねじ」と呼ばれ、親しまれました。


俳優以外でも、各方面で才能を発揮しました。


もともと、武蔵野美術大学に入学し(中退)、画家を目指した経験もあるだけに、油絵や日本画は芸能界随一の腕前を誇りました。


1981年にフランス🇫🇷仏の絵画展「ル・サロン」でグランプリを獲得し、翌1982年にも、同展で国際賞を受賞。


晩年は、年に2回のペースで個展も開催しました。


1968年に女優の茅島成美さんと結婚したが、1975年に離婚しました。


1978年に女優の池波志乃さんと再婚しました。


生涯の伴侶を射止めると、以後、芸能界きってのおしどり夫婦として世間に知られました。


2018年には妻との共著「終活夫婦」を刊行しました。


当時、中尾さんはねじねじを200本処分したほか(それでもまだ200本残っていた)、自らデザインした墓も完成したことなどを明かしていました。


昨年6月、妻の池波志乃さんと「ぽかぽか」(フジテレビ)に生出演し、こだわりの「終活」について語っていました。


中尾さんは「2人とも病気になったことがあったのね。そろそろいろんなことを考えないといけない年齢になって。じゃあ大きい物から少しずつ片づけていこうって」ときっかけを説明。


沖縄県や千葉県のに所有するアトリエを処分し、自身が入るお墓を用意したことも明かしました。


他の「終活」については、「人間関係も一緒にいろいろ整理したかな」と池波さん。


中尾さんは「例えば30代で友達だった人と、50代、70代の違いがあるじゃない」と話し、池波さんは「切るっていう意味じゃなくって」と補足説明しました。


司会の「ハライチ」澤部佑さんが「中尾さんが人間関係を整理って言うと、なんか始末した、みたいな…」と冗談めかして話すと、中尾はさん「でもやや近いよ」と笑わせました。


池波さんは「仕事だけでだらーっとつながってた人は向こうも迷惑だっただろうなと思うような」関係を整理したと言い、中尾さんは「役者とは一切付き合わない。悪口ばっかりになっちゃう会話が。だから俳優さん以外に、お医者さんだとか、お店の人とか。発想が豊かじゃん、私たちにない発想を与えてくれるから」と力説。


池波さんは「だから無理無理向こうも腐れ縁で引きずってたのをちゃんと自分たちもきちんと。だからもう無理な贈り物のやり取りとか、そういうのもちゃんとあいさつして」終えたとしました。