政府は2024年春の叙勲受章者を4月29日付で発表し、元プロレスラーのタイガー・ジェット・シン(本名・ジャグジット・シン・ハンス)さんには、旭日双光章が贈られます。
ターバン姿でサーベルを振り下ろし、「インドの狂虎」の異名を持つ悪役レスラーとして、日本プロレス界でアントニオ猪木さん(故人)の最大のライバルと言われました。
旭日双光章の知らせに「日本の全てのプロレスファンに与えられた栄誉だ」と喜びました。
80歳になっても眼光の鋭さは変わりません。
「猪木が一番強かった」と振り返ります。
試合後は数週間も打撃の痛みが残ったというそうです。
さまざまな因縁があったが「過去のことだ」と意に介しません。
「日本の良い思い出ばかり」と目を細めます。
現金や貴金属が入ったかばんをホテルに置き忘れ、何も盗まれずに戻ってきたことがありました。
「一生忘れない。誠実な人たちだ」と語りました。
現在は在住するカナダで慈善団体を運営しています。
2011年の東日本大地震に心を痛め、福島県で自宅を失った児童らに義援金を送りました。
「日本は第二の故郷。日本人は家族のような存在だからね」
草創期の新日本プロレスは外国人レスラーの招聘ルートもテレビ中継もありませんでした。
そんな新日本プロレスの救世主は間違いなくシンでした。
シンの初来日は1973年5月、テレビ朝日系で新日本プロレスのテレビ中継が始まった翌月のことです。
特に70年代は常軌を逸した狂乱ファイト、プライベートでもファンの前では変わらぬ凶暴ぶり、新宿伊勢丹襲撃事件、アームブリーカー腕折り事件等々、実は猪木さんが本当はやりたかった「喧嘩のようなプロレス」を体現したスーパーヒールでした。
80年代の全日本プロレスと新日本プロレスの外国人レスラーの引き抜き合戦の中で全日本プロレスに移ったが、狂乱ファイトは相変わらずでした。
全日本時代はジャイアント馬場さん(故人)の持つPWF王座に挑戦したり、大相撲からプロレスに転向した輪島大士さん(故人)の日本デビュー戦の相手も務めました。
昔から「ヒール役は善人にしか務まらない」と言われていましたが、そのとおりに入場曲(新日本では「サーベルタイガー」、全日本では「吹けよ風、呼べよ嵐」)~退場時は狂虎の名に相応しい振る舞い。
反則攻撃ばかりが注目されるが、シンが強かったのは正統派のプロレスを心得ていたからです。
リング外ではジェントルマンと真のプロフェショナルレスラーでした。
地元カナダでは有名な名士でもあり、真面目故に『インドの狂虎』に真摯な姿勢で取り組んでいました。
尊敬すべきプロ中のプロですよねぇ…。
外国人プロレスラーの旭日双光章受章はミル・マスカラスさん、ザ・デストロイヤーさん(故人)に次いで3人目です。