昭和から平成という二つの時代を通じて、全国のお茶の間を中心に親しまれた東京の名所がまた姿を消すことになりました。
JR東日本新宿駅の東口に立つファッションビル「新宿アルタ」を運営する三越伊勢丹が、来年2月をもって同ビルを閉館することを発表しました。
開業は日本が経済成長に沸いていた最中の1980年(昭和55年)。
松田聖子さんが歌手デビューし、ルービックキューブが発売され、山口百恵さんと三浦友和さんが結婚しました。
社会現象にもなった竹の子族に象徴される若者世代の顧客開拓を期して、三越百貨店(当時)が手がけました。
地下2階、地上8階に屋上まで整備されたビルには衣料品をはじめ、化粧品や雑貨を扱う店舗のほか、飲食店もテナント入りしました。
とくに話題となったのが、7階と8階のスタジオアルタでした。
テレビ放送に対応できる本格設備がウリでしたが、それはフジテレビやテレビ東京が出資していたからです。
開業と同じ年にフジテレビがスタートさせた生放送の「笑ってる場合ですよ!」の後継で、32年にわたって放送が続いたのが「笑っていいとも!」でした。
“やっぱりアルタがいいな”
月曜日から金曜日まで、平日正午から午後1時にかけて行われた公開生放送「笑っていいとも!」の司会は、開始当初からタモリさんが務めました。
番組では、タモリさんは本名の森田一義の名義で出演していました。
その後、フジテレビの看板番組に成長したのは周知の通りです。
当時、タモリさんは“深夜帯のタレント”とのイメージが強く、彼の起用を不安視する声も少なくなかったです。
ところがふたを開けると、時に毒舌が混じる軽妙洒脱なトークと意外な博識ぶりが大ウケしました。
平均視聴率は10%を超え、放送1年目にしてフジテレビは年間視聴率で3冠(ゴールデン・プライム・全日でトップ)を獲得したほどです。
以降、フジテレビは12年連続で3冠を果たすが、 そんなフジテレビの黄金期を支えた屋台骨が「笑っていいとも!」でした。
タモリさん自身の認知度も高まり、いまの国民的人気タレントという評価の地歩を築きました。
放送回数は実に8054回に達しました。
タモリさんにとっては“通勤先”だったが、アルタには専用の控室も設置されていたというそうです。
スタジオ自体は240平方メートルほどで、決して広くはなかったです。
その分、タモリさんやその他の出演者らと観客の距離が近いので、収録の際にはアットホームな雰囲気が生まれました。
タモリさんもそんなところが気に入っていたようで、ある時、設備の改修でひと月ほどアルタが使えない時期があったのですが、後にタモリさんは“やっぱりアルタがいいな”と笑っていたそうです。
1988年(昭和63年)には番組史上最高の27.9%を記録するなど絶好調。
当然のようにアルタの知名度も上がり、新宿で待ち合わせする際の定番スポットのほか、地方から観光客がやって来る東京の観光名所にもなりました。
当時の若者は“アルタ前”を合言葉のように使っていました。
一時はアルタが面する新宿通りの通行人が、1日20万人以上を記録したというそうです。
数年後には地価が中央区銀座4丁目を上回り、日本一になったこともありました。
近年は周辺にファストファッション店などの出店が相次ぎ、競合店も増えていました。
テナントの顧客離れが進み、「笑っていいとも!」の終了後はスタジオ使用料収入も激減していました。
閉館理由は明らかにされていませんが、10年ほど続いた営業赤字が原因のようです。
アルタという名称は“代替”“新しい”という意味のオルタナティヴ(alternative)が由来とされます。
テレビ業界にとどまらず、若者文化と時代をけん引したランドマークでした。