日曜朝のアニメ・特撮 | 女装男子かなこのブログ

女装男子かなこのブログ

あたし、かわいいものが大好きな女装男子です❗
女装に年齢は関係ありません❗

日曜日の朝、テレビ朝日系列で放送している「プリキュア」、「令和仮面ライダー」、「スーパー戦隊」の各シリーズ作品を総称して「ニチアサ」と呼ぶ人が多くいます。


2024年3月時点でのラインナップは、プリキュアは「わんだふるぷりきゅあ!」、令和仮面ライダーは「仮面ライダーガッチャード」、スーパー戦隊は「爆上戦隊ブンブンジャー」です。


「ニチアサ」は子供から大人まで楽しませてくれる時間帯ですが、その前には子供向けのアニメ・特撮が全然放送されない時期がありました。


この「ニチアサ」の歴史について振り返ってみましょう。 


実は現在では公式には「ニチアサ」は解消されています。


「ニチアサ」は正式には「ニチアサキッズタイム」と呼ばれる「コンプレックス」でした。


コンプレックスとは、共通点を持つ複数の番組を連続して配置した時間帯のことです。


「ニチアサ」が正式にスタートしたのは2007年3月4日のことです。


日曜朝7時から9時までの4番組2時間枠が「ニチアサ」と設定されました。


この時のラインナップは、メ~テレ(名古屋テレビ)のアニメ枠である「古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー」、スーパー戦隊第31作「獣拳戦隊ゲキレンジャー」、平成仮面ライダー第8作「仮面ライダー電王」、朝日放送制作のプリキュアシリーズ第4作「Yes!プリキュア5」です。


ただし、2009年3月まではローカル番組放送のため、山形テレビの平成仮面ライダー、静岡朝日テレビのスーパー戦隊と平成仮面ライダーは遅れネットでした。


この「ニチアサ」という名称は、「プリキュア」シリーズのプロデューサーである鷲尾天さんの発案でした。


日曜日の朝の子供向け時間帯という意味があるそうで、ストレートなだけに覚えやすく、なじみやすい名前だと思います。


ひょっとしたら、「朝」はテレビ朝日系列とのダブルネーニングかもしれません。


しかし、この「ニチアサ」はあまり長い期間あったわけではないのです。


まだ各番組が絶頂期だった2011年1月30日、「ハートキャッチプリキュア!」が終了した時に、発展的解消されました。


その期間は4年程度です。


そして2024年現在、「ニチアサ」が解消されて13年の月日が経ちました。


そう考えると、公式には解消された「ニチアサ」は名前だけが独り歩きをして、現在も使い続けられている俗称ということになるでしょう。


現在は時間帯が変わって朝8時30分から10時の3番組1時間半枠になっていますが、その変化もユーザーにはささいなことかもしれません。


なにしろ今も昔も「プリキュア」「仮面ライダー」「スーパー戦隊」の3作品は子供にとって不動のテレビ番組です。


三本の矢というわけではないでしょうが、この強力なコンテンツがひとつになっていることが、お互いの番組としての知名度を不動のものとしているのでしょう。


惜しむらくは、「ニチアサ」の一角だったメ~テレのアニメ枠が、2017年9月24日に最終回を迎えた「ヘボット!」を最後に廃止されたことです。


これは情報番組「サンデーLIVE!!」の放送開始で、8時30分までの時間枠が子供向け枠でなくなったことが原因です。


同時に、メ~テレが単独で制作する全国ネット番組も消滅しました。(「サンデーLIVE!!」はテレビ朝日・朝日放送テレビ・メ~テレの共同制作)


思えば「ニチアサ」成立以前にも、日曜朝の子供向け番組はいくつもありました。


どんな作品があったか、同時に「ニチアサ」に集まった作品群がどこからやって来たのか、振り返ってみましょう。


実は日曜朝の子供向け番組は、1980年代に入るまで皆無といっていいほど何もありませんでした。


政治討論のような番組が多く、子供には退屈な時間だったと思います。


もちろん本当に皆無というわけではなく、1959年には「まぼろし探偵」(ラジオ東京テレビ(現在のTBS))、1960年には「怪獣マリンコング」(フジテレビ)といった番組がありました。


しかし時間枠の維持には至りません。 


その後もわずかにアニメの再放送があったのみでした。


当然ながら、当時は家庭用VTRは一般的に普及しておらず、子供には日曜の朝のテレビは退屈というイメージがありました。


さらに当時は週休2日が普及しておらず、学校は土曜日でも午前中だけ授業があったため、サラリーマン家庭の子供は日曜日の朝でもお父さんに合わせて遅めに起きることも多く、早起きするのは家族揃ってのお出かけや地域の行事がある時だけでした。


そういった風潮を変えたのが、テレビ朝日系列で放送開始した「ドラえもん」です。


朝8時30分から9時の30分枠で、同時期に始まった月曜日から土曜日の帯枠の10分作品の再放送という形で1979年4月8日から始まりました。


ただし、この形態での放送は関東地方のみでした。


日曜朝8時30分からの30分番組は全国ネット、月曜日から土曜日の10分番組は関東ローカルで、オープニング、エンディング、次回予告もそれぞれ別に製作されていました。


「ドラえもん」は後にゴールデンタイムの金曜夜7時に移動して、帯枠に変わってメインとなります。


つまり現在も放映されているテレビアニメの原点でした。


翌年1980年4月6日から時間帯を日曜朝9時30分に移します。


この時間帯は「ドラえもん」のゴールデンタイム昇格後は「藤子不二雄劇場」となって、「忍者ハットリくん」、「パーマン」、「オバケのQ太郎」などが次々と放送され、藤子不二雄ブームを定着させる役割を果たしました。


この時間枠は1987年9月27日まで「藤子不二雄劇場」を放映し、後番組として時間帯移動してきたメタルヒーローシリーズ第6作「超人機メタルダー」へと変わります。


このシリーズは第8作「機動刑事ジバン」で1989年4月2日放送分から日曜朝8時の時間枠に移動、後に現在の「平成/令和仮面ライダー」シリーズへ受け継がれることになりました。


こうして日曜朝を子供向けに開拓したテレビ朝日でしたが、成功すれば後が続くものです。


最も早くこれに追随したのがフジテレビでした。


後に「東映不思議コメディシリーズ」と呼ばれるようになる第1作「ロボット8ちゃん」を1981年10月4日から日曜朝9時の時間枠に入れます。


フジテレビ系で東映の特撮作品が放送されるのは「仮面の忍者赤影」(1967~68年、関西テレビ)以来でした。


 この時間枠での「東映不思議コメディシリーズ」はおよそ12年間、14作続いて終了しました。


「東映不思議コメディシリーズ」はローカルセールスによる全国ネットだったので、系列局によって放送時間が異なり、局によっては一部の作品が放送されなかったことがありました。


関西地区では「魔法少女ちゅうかなぱいぱい」以降はどういうわけか系列局の関西テレビではなく独立UHF局のサンテレビ・KBS京都放送で放送、滋賀・奈良・和歌山の各県では非放送だったので、関西では知られざる存在となってしまいました。


その後、1994年4月から東映アニメーション作品の枠となり「蒼き伝説シュート!」が始まり、現在は「逃走中 グレートミッション」が放送されています。


一方のテレビ朝日も、日曜朝を徐々に子供向けに定着させていきました。


「とんがり帽子のメモル」を日曜朝8時30分枠に移動したのが1984年10月7日のことです。


この枠は「ドラえもん」が朝9時30分に移動した後の1980年4月より、朝日放送制作の全国ネット枠になっていました。


「とんがり帽子のメモル」が移動してきたことで朝日放送制作による東映アニメーション枠となり、後に「プリキュア」シリーズへとつながっています。 


現在も「ニチアサ」の一角である「スーパー戦隊」シリーズは、1997年4月6日から第21作「電磁戦隊メガレンジャー」が日曜朝7時30分に枠移動してきます。


メ~テレのアニメ枠は遅れて1998年4月5日から「Bビーダマン爆外伝」が日曜朝7時に枠移動しました。


ちなみに「スーパー戦隊」シリーズとメ~テレのアニメ枠は、土曜日午後5時30分から6時30分の1時間枠だった時期があります。(系列局によって異なる)


1979年4月7日から放送開始した「機動戦士ガンダム」と、1979年2月3日から放送開始した「バトルフィーバーJ」でした。


後に「ニチアサ」に移動した後のメ~テレのアニメ枠では「機動戦士ガンダムユニコーン RE:0096」を放送したこともあり、「ガンダム」と「戦隊」の奇妙な縁を感じたファンも少なからずいたことでしょう。


日曜日の朝が子供向け番組であふれるようになったのは、テレビ朝日の尽力だったとも考えられます。


今後も日曜朝のテレビ朝日系列の番組が続く限り、「ニチアサ」という言葉は使われていくのでしょう。


語源を調べなくても理解できるストレートなネーミング、やはり名前はシンプルが一番ですね。