山本陽子さん死去 | 女装男子かなこのブログ

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「放浪記」「おはん」などの舞台をはじめ、映画やドラマで清楚な役から悪女まで幅広く演じて存在感を示した女優の山本陽子(やまもと・ようこ)さんが2月20日、死去しました。


81歳でした。


山本さんのおいで所属事務所代表の日塔謙太郎氏が公表した書面によると、山本さんとは亡くなる数時間前まで一緒にいたというそうです。


帰宅直後の急性心不全で亡くなったとし、「いまだに信じられません」と言うほど急な出来事でした。


4月の舞台「そして誰もいなくなった」の稽古を控え、台本と向き合う日々だったというそうです。


日塔氏は「今ごろ向こうで『こっちの話し方のほうがいいかしら?』などと役作りに励んでいることと思います。最期の瞬間まで自由に生きた幸せな人生でした」としました。


今月2日には、「徹子の部屋」(テレビ朝日)に、ともに日活で活躍した高橋英樹さんと出演したばかりでした。


70歳で静岡県熱海市に移住したことや、健康の大切さ、「いろんな役に挑戦したい」など意欲を語っていました。


これが最後のテレビ出演となりました。


清楚な役から悪女役まで、振り幅広く演じました。


りりしい表情や、はつらつとした声、着物姿が印象的で、意志の強い役柄がよく似合いました。


映画は「華麗なる一族」「八つ墓村」など、テレビドラマは「ハングマン」シリーズ(朝日放送)、「黒革の手帖」(テレビ朝日)など、舞台女優としても「おはん」「放浪記」「細雪」など代表作は数多いです。


1967年に起用された老舗のり販売「山本海苔店」(東京・日本橋)のイメージモデルは現在まで57年間務めました。


「専属モデル契約年数世界最長」としてギネス記録に認定されたことも話題になりました。


山本陽子さんは1942年3月17日生まれ、東京都出身。


高校卒業後、野村証券に入社しました。


投資相談部で勤務していたところ、日活のプロデューサーの目にとまったという異色の経歴の持ち主。


第7期日活ニューフェイスとして1963年に芸能界入りしました。


任侠ものやハードボイルド作品に花を添えたほか、「大巨獣ガッパ」ではヒロイン役を演じました。


訃報を受け、日活は「山本陽子さまのご冥福を心よりお祈りいたします」とコメントを発表。


「1963年に第7期日活ニューフェイスとして芸能界入りし、翌64年高橋英樹さんの相手役として『抜き射ちの竜 拳銃の歌』で本格デビュー。その後『青春の裁き』『青春の風』等、数多くの日活作品に出演されました」とこれまでの歩みを振り返り、故人を偲びました。


長きに渡り女優として活躍した山本さん。


1965年から66年にかけて放送された「ナショナル劇場 七人の孫」(TBS)では和服姿の楚々とした女性を演じ、これを見そめた山本海苔店の社長が同社CMへの出演をオファー。


1967年から22年まで実に55年にわたって続き、42年を過ぎた2010年に「専属タレント契約の世界最長記録」としてギネスに認定され、以降も更新を続けていました。


1971年には森光子さん(故人)主演「放浪記」の「悠起」役で初舞台を踏み、1980年の「花埋み」で初主演。


1994年の「おはん」の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞しました。


2006年には「いろどり橋」で名古屋演劇ペンクラブ賞を受賞しました。


2008年、09年には「放浪記」の舞台で「日夏京子」役で上演回数2000回の記念舞台に出演し、花を添えました。


テレビドラマでは、NHK連続テレビ小説「京、ふたり」(畠田理恵さんとダブルヒロイン)やNHK大河ドラマ「国盗り物語」をはじめ、田宮二郎さん(故人)と共演した「白い影」(TBS)「白い滑走路」(TBS)、主演を務めた「黒革の手帖」(テレビ朝日)、さらに「ザ・ハングマンV」(朝日放送)など、幅広い役柄を好演。


日活以外の映画では「華麗なる一族」「八つ墓村」などで存在感を発揮しました。


私生活では、1999年に亡くなった俳優の沖田浩之さんとの年の差を超えたロマンスが注目されました。


車の運転が趣味で、日本人で初めてポルシェに乗った女性とも言われました。


生涯独身でした。


気品に満ち、かっこいい女優の代名詞のような人でした。