もんたよしのりさん死去 | 女装男子かなこのブログ

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5人組バンド「もんた&ブラザーズ」として「ダンシング・オールナイト」(1980年)のヒットなどで知られるシンガー・ソングライター、もんたよしのりさん(本名・門田頼命=かどた・よしのり)が10月18日、大動脈解離のため亡くなりました。


72歳でした。


公式ブログで所属事務所が発表しました。


独特のハスキーボイスで一世を風靡(ふうび)した個性派歌手がこの世を去りました。


発表では「あまりにも突然のご報告となりますが、10月18日朝、もんたよしのりは大動脈解離で永眠いたしました。72年の生涯でした。本人の希望通り親族のみでの葬儀を執り行い、とても穏やかな顔で旅立ちました」と報告しました。


さらに「あんなに元気でいつもパワフルだったもんたが、天国へ向かうなんて、今もまだ信じられない気持ちでいっぱいです。もんたと共に過ごした長い年月が、まるで走馬灯のように蘇ってきます」としつつ「今はまだ気持ちが追いつかない状態ですので、少し先になるかと思いますが、お別れの会を開催する予定です。ファンの皆様、関係者の皆様、もんたの音楽や生き様を愛してくださった皆様、長い間応援していただき、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます」とつづられていました。


もんたよしのりさんは1951年(昭和26)1月8日生まれ、兵庫県神戸市出身。


高校を中退して1971年に上京し、「この足の鎖ひきちぎりたい」で歌手デビューしました。


鳴かず飛ばずの時期も経験したが、1980年に「もんた&ブラザーズ」を結成して“再デビュー”すると、「ダンシング・オールナイト」が160万枚の大ヒットを記録。


一躍スターダムを駆け上がり、同年のNHK紅白歌合戦にも出場しました。


1983年には、大橋純子さんとのデュエット曲「夏女ソニア」を発売、同曲は化粧品のCMソングとしてヒット、さらに西城秀樹さん(故人)の「ギャランドゥ」を作詞作曲するなど幅広く活動しました。


1984年にバンド解散後には俳優でも活動するなど、幅広く活躍。


「THE夜もヒッパレ」(日テレ)でも、持ち味のハスキーボイスでさまざまなアーティストの楽曲を歌い、お茶の間の人気も集めました。


もんたさんは大阪府北部の住宅街で暮らし、近所からも知られていました。


近所の住民によると、18日ごろ、家族があわただしく出入りする姿を見かけたというそうです。


近年は、出身の神戸でのライブや、地元大阪のラジオ番組にも定期出演していました。


今年も8月29日にはチキンジョージでライブを開き、ラジオ番組「MARK’E MUSIC MODE」(FM CO-CO-LO)に月1回ゲスト出演していました。


同局によると、今月はまだ出演しておらず、交渉中のままでした。


9月26日には、NHK大阪ホールから生放送された「うたコン」にも出演し、自身のヒット曲「ダンシング・オールナイト」と、もんたさんが作詞・作曲し、西城秀樹さんがリリースした「ギャランドゥ」を新浜レオンさんと披露していました。


同番組の関係者によると、もんたさんは、久々の生放送歌番組への出演だったといい「お元気でしたし、もんたさん自身、楽しまれているような感じでした」と振り返っていました。


また、同番組は10月3日に再放送されており、その前日2日には、もんたさんが自身のブログを更新。


「久々の生放送と言うことで、少しは緊張するかと思いきや、そうでもなく」などと記し、その帰路には近くのすし店で夕食をとったと報告。


久々の生放送出演で、知人から「トレンド入りしている」と連絡をもらい、大勢の人に「俺の歌に反応してもらえたようで、めちゃめちゃ嬉(うれ)しくて、嬉しさが全身を駆け巡るようだった」と吐露。


「こんなご褒美もらえるねんなぁ~! 又(また)、がんばろうと素直に思える」などと、感謝の思いを書き込みつつ、番組の再放送をPRしていました。


もんた&ブラザーズのメンバーは、もんたさん、豊島修一さん(ギター)高橋誠さん(ギター)林政宏さん(キーボード)渡辺茂さん(ベース)ブレイシー・マーティン・キースさん(ドラム)。


1980年に結成し「ダンシング・オールナイト」が160万枚のヒット。


年間130本のライブをこなしスターダムに。同年「赤いアンブレラ」、1981年「DESIRE」などのヒットを出したが1984年に解散。


2007年に再結成し、ライブも行いました。


「ダンシング・オールナイト」の売上がいかにすごかったかというと、1980年代にリリースされた曲の中で最も多く売れた曲です。


売上枚数は162万枚です。


2位が「奥飛騨慕情」(竜鉄也)で148万枚、3位が「ルビーの指環」(寺尾聡)で134万枚ですから、かなりの差がついています。


「クリスマス・イブ」(山下達郎)は90年代以降に売り上げを重ねたので、ここでは対象外です。


90年代のメガヒットばかりが売り上げ枚数で語られる中で、音楽ビジネス的には冬の時代と言われた80年代に最も愛された曲を歌手・作曲家として生み出した功績は大きいです。


谷村新司さんに続き、1970年代に関西のミュージック シーンから生まれたミュージシャンがまた亡くなりました。