107年ぶり優勝 | 女装男子かなこのブログ

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<全国高校野球選手権大会:慶応8-2仙台育英>

◇23日◇決勝


慶応高校(神奈川)が仙台育英高校(宮城)を破り1916年(大正5年)の第2回大会以来、107年ぶり2度目の優勝🏆️を果たしました。


仙台育英は史上7校目の連覇を逃しました。


1回表、1番丸田湊斗選手(3年)の大会史上初となる決勝戦の先頭打者本塁打などで2点を先制。


2回にも丸田選手の適時打で1点を加えました。


その後1点差に迫られたが、5回に5点を奪う猛攻。


2アウト一塁から7番福井直睦選手(3年)の適時二塁打、代打安達英輝選手(3年)の適時二塁打、さらにエラーも絡み打者一巡の猛攻で5得点で8-2とリードを広げました。


甲子園歴代最多13本塁打の清原和博氏の次男・勝児選手(3年)は9回に代打で出場、四球を選びました。


父はPL学園高校時代、1年夏と3年夏に全国制覇。


父に続き次男も優勝を果たしました。


先発の鈴木佳門投手(2年)は4回を2失点。


5回から登板した小宅雅己投手(2年)が無失点に抑え優勝投手となりました。


仙台育英は3回に1点差に迫ったが4回、ノーアウト二塁の好機を生かせません。


5回に大量5点を奪われ突き放されました。


昨夏、今夏とチームを支えてきた湯田統真(3年)、高橋煌稀(3年)の両投手が慶応打線の勢いを止めきれませんでした。


それでも連覇こそ逃したが準優勝。


東北勢は史上初めて3校が8強入りするなど今年もレベルの高さを証明しました。


主将の大村昊澄選手(3年)は、世紀をまたいで深紅の優勝旗を手にしました。


大村選手は「日本一を目標に掲げてきて“高校野球を変える”とか、散々大きなことを言ってきて、いろんな人に鼻で笑われたりとか、いろんなことを言われてきたんですけど、一瞬たりとも諦めることはなかった。諦めなければ夢は叶うんだなと。身をもって証明できたのではないかと思う」と全国制覇にしみじみ。


「“日本一になる”と言って、センバツで負けて、関東大会でも結果を残せなくて…。最後の最後で勝ちきれないチームの弱さがあって。弱いチームに批判が集まるのはもちろんですし、勝てないのに大きいことばかり言っていたら、“行動と発言が伴ってないじゃん”と言われたこともありましたけど、最後、結果と言っていることが一致したので良かったです」と有言実行できたとしました。


107年ぶりと歴史を動かしたことに「自分たちが歴史を変えると。新しい時代を作ると。そこを決意して始まったチームなので、有言実行できたんじゃないかなと思います」と胸を張りました。


「エンジョイベースボール」を掲げ、野球を楽しむことを貫きました。


「慶応の野球がまず日本一になる。正しいって勝つことで証明することが1番。見てもらった通り野球を心から楽しむ。自分たちの野球を見てくれている人が慶応の野球って素晴らしいな、かっこいいな、野球やりたいなって思ってもらえる野球をすることが自分たちのこだわりであり目標。勝たなきゃ正しさは証明されないので、勝って日本一という結果を残すことで少しでも正しさを証明できたんじゃないかと思います」と誇ります。


野球を楽しむことや自由なスタイルなど、これまでの高校野球の常識を覆し頂点に立ちました。


「一番は野球は楽しいんだぞという野球の本質をもう一回表現できた。最近は指導者とか、いろんな人に上から言われて、言われたままにやって、楽しそうにやらない、しんどそうにやる高校球児が目立って、それが正義だと見られていたと思っていて、自分もそうですし。森林さんもそう感じてと思う。じゃなくて、心の底から野球は楽しいんだぞと。そういう原動力から出たプレーとか、行動が最後は一番強いんだそというのを証明したかった」と言う大村選手。


「プレー中、どんなに厳しくて辛い時でも笑顔を絶やさずにみんなで“楽しいね”って声かけて、最後は日本一まで登り詰めた。そこは変えられた常識の一つ」と話しました。


全国的に男女別学の高校が減りつつある中、慶応高校は今大会の出場校で唯一の男子校👟🏫♂です。


これまで、夏の大会で最も間隔が空いた優勝は2016年に優勝した作新学院高校(栃木)の54年ぶりでした。


春は1991年に優勝した広陵高校(広島)の65年ぶりが最大ブランク優勝となっています。


神奈川県勢の優勝は1949年の湘南高校、1960年の法政第二高校、1970年の東海大相模高校、1971年の桐蔭学園高校、1980年の横浜高校、1998年の横浜高校、2015年の東海大相模高校に続く8年ぶり8度目。


都道府県別では大阪府の14度に次ぎ、愛知県と和歌山県と並ぶ2位となりました。


春夏通算では15度目で大阪府の26度、愛知県の19度に次ぐ3位。


慶応高校の前身の慶応普通部が1916年に優勝した時は東京都代表でした。


慶応普通部が初優勝を果たした1916年はまだ甲子園球場がなく、豊中球場にて開催されました。


まだ第一次世界大戦の真っ只中。


同年10月には寺内正毅が第18代内閣総理大臣に任命され、12月には「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」などの代表作を執筆した近代日本文学の文豪のひとり、夏目漱石が胃潰瘍により死去しました。


他にも、チョコレートで有名な明治製菓が創業され、1905年に特殊相対性理論を発表したアルベルト・アインシュタイン(ドイツ)が「一般相対性理論」を科学界で発表するなど、国内外で大きな変革期を迎えていた時代でした。


近年の猛暑対策として今大会から初めて「クーリングタイム」が導入され、慶應をはじめ、高校野球の代名詞とされていた丸刈りにしていないチームも多く出場し、時代の変化が見られた甲子園。


107年ぶりの快挙は、高校野球の新たな時代の幕開けとなるのでしょうか。