知られざる伝説のクイズ番組 | 女装男子かなこのブログ

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伝説のテレビ番組が復活します。


中部日本放送(CBC)で制作された「天才クイズ」。


1967年7月から2004年9月まで37年2カ月にわたってレギュラー放送され、「パネルクイズ アタック25」(1975~2021年、朝日放送)に抜かれるまでは最長寿のクイズ番組でした。


全国ネットでなかったローカルクイズ番組としては今も最多放送記録を誇ります。


8月26日には当時のルールを踏襲した「新天才クイズ」が夏休み特番として放送が予定されています。


一体、どんな番組だったのでしょうか。


 「答えっは…………、イエーッス!」


独特の“ため”で正解を発表する「天才博士」のおなじみのフレーズは、特に中京地区で生まれ育った人にはなじみが深いでしょう。


CBCの看板番組として1967年に始まった「天才クイズ」。


主に小学生を対象とした視聴者参加型の30分番組で、1973年9月までは水曜午後6時から、それ以降は土曜午後5時30分からの放送で、主に名古屋市のCBCホールで公開収録されました。


歴代司会者は女優の久里千春さん(1973年12月まで)、漫談家の高松しげおさん(1983年12月まで)、タレントの斉藤ゆう子さん(現・祐子、1994年5月まで)、落語家の林家こぶ平さん(現・正蔵、番組終了まで)の計4人。


いずれもご当地出身ではない芸能人が務めました。


番組のトレードマークだったのが天才博士。


タレントの鎌田吉三郎さんが放送開始時から声を務め、出題などを担当しました。


初代は着ぐるみロボットで、2代目は白いあごひげに博士帽をかぶったグロテスクな顔が特徴でした。


3代目は一転して愛くるしいマスコットのようなキャラクターとなり、白衣姿で黒ひげに変更されました。


2004年9月に番組が終了するまで放送回数は全1930回。


スポンサーは一貫して敷島製パン(Pasco)の1社提供でした。


2012年に「パネルクイズ アタック25」(1975~2021年、朝日放送、通算46年6か月、全2280回、後継番組「パネルクイズ アタック25Next」がBS Japanextで放送中)に抜かれるまでは最長寿クイズ番組でした。


日本クイズ協会によると、3番目に長かったのは「アップダウンクイズ」(1963~85年、毎日放送、通算で22年、全1084回)。


このほかに歴史のある番組として1983年から現在も続く「全国高等学校クイズ選手権」(日本テレビ)があるが、主に年1回の特番のため、別格の存在と考えられています。


1位が「アタック25」、2位が「天才クイズ」、3位が「アップダウンクイズ」だったので、

1986年開始で現在も続いている「世界ふしぎ発見!」(TBS)は、日本クイズ協会ではクイズ番組とみなしていないようです。


2014年に発売された「パネルクイズ アタック25 公式ファンブック」では、年表の中に1997年4月に「アップダウンクイズ」「連想ゲーム」を抜いて全国ネットのクイズ番組最長記録を更新したという記述がありますが、「天才クイズ」はローカル放送ということもあってか触れられていませんでした。


全国ネットされなかったローカル放送のクイズ番組は他にも「クイズMr.ロンリー」(毎日放送、関西ローカル)「夫婦でドンピシャ!」(朝日放送、関西ローカル)や独立UHF局の「クイズバトンタッチ」(テレビ神奈川)「カルチャーSHOwQ!」(東名阪ネット6、制作局はテレビ神奈川)などがありましたが、「天才クイズ」は途中から信越放送(長野県)でも放送されたが、全国ネットされなかったローカルクイズ番組としては最長寿番組と位置付けられています。


そんなレジェンド番組も37年2カ月の歴史に幕を閉じました。


当時、CBCは「学校の週休2日制がスタートしたことや、学習塾に通う児童が激増し子どもたちを取り巻く環境が大きく変化した」などと理由を挙げていました。


ただ、番組終了後もそのDNAは局内に根付いており、2016年12月には開局60周年記念企画として18歳以上を対象にした「オトナの天才クイズ」が特番で放送され、昨年8月には小学生向けに特番の「復活!天才クイズ」が再登場。


いずれも当時と同じ敷島製パン(Pasco)の1社提供番組として放送されました。


クイズのルールはいたってシンプル。


出題に対してイエスかノーで解答する、いわゆる「⭕️❌クイズ」で、⭕️か❌と書かれた帽子のどちらかをかぶって意思表示。


全問正解者は「天才賞」を獲得し、天体望遠鏡や地球儀などの賞品が贈られました。


男の子👦30人の「ボーイズチーム」と女の子👧30人の「ガールズチーム」に分かれて対戦する個人戦で、出題数は時代を重ねていくごとに12問、10問、8問と徐々に減りました。


2001年以降は6人1組のチーム戦、早押しクイズなども採り入れられました。


クイズ番組史に詳しい専門誌「QUIZ JAPAN」の大門弘樹編集長は「アメリカ横断ウルトラクイズや高校生クイズが予選に⭕️❌クイズを導入したルーツは天才クイズにあると考えている」と指摘。


2択問題のため「答えが分からなくてもどちらかを選べば正解になる。知識ではなく運があれば勝ち抜けられる。そんなエポックメーキングなものを作ったCBCテレビはすごい」とリスペクトしました。


8月26日に特番として放送される「新天才クイズ」も⭕️❌クイズが軸となるもよう。


一般的なクイズ形式は現在も「⭕️❌」「択一」「早押し」の3パターンが王道。


伝説のクイズ番組が日本のクイズ文化に与えた影響は計り知れません。


3代目司会者を務めたタレントの斉藤祐子さんは、1982年にバラエティー番組「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ)のお笑いコンテスト「お笑い君こそスターだ」でグランプリを獲得し、「斉藤ゆう子」の芸名でデビュー。


黒ぶちのだて眼鏡がトレードマークで、セブンイレブンやセガのCMでも人気になりました。


「天才クイズ」では1984年1月~1994年5月に3代目司会者を務めました。


―天才クイズが復活すると聞いて

「それはうれしかったですよ。今でもお付き合いのあるCBCテレビの元プロデューサーさんに早速電話しました。(当時と同じ)敷島製パンさんの1社提供なんですってね。歴史がこうやって継承されていくのがうれしいです」


―1984年1月に3代目司会者に

「何の下勉強もなしにある日、突然名古屋に呼ばれて…。でも、天才クイズは局として大切にされている番組だったので、いろいろな方が優しく指導してくださった。いつも私の楽屋にはプロデューサーさん、博士(天才博士の声の鎌田吉三郎さん)、アシスタントの女の子、ディレクターが集まって、ああですよ、こうですよ、と」


―祐子さんの司会の時に天才博士の顔も変わった

「私が最初に出演したときは妖怪図鑑の3ページ目には載っているような顔で…。迫力があったぁ。その後、私に合わせてかわいらしい博士にしようということになって。美術さんも言っていましたもん。『祐子ちゃんのために作ったんだよ』って。全身ふわふわのパンでできているような着ぐるみで」 


―着ぐるみを作ったところとは深い縁が

「大阪の『ラック』というところで。芸能界入り前にそこでアルバイトしていたんです。会社には岡崎薫さんもいらして。着ぐるみ師のレジェンドで「さんまのまんま」(関西テレビ)のまんまちゃんをやられた方ですね。こういう形でまた一緒に仕事ができてうれしかった。博士の中は女性の方が入っていたのですが、岡崎さんもお忙しいのに毎回、番組に来てくださった」


―当時はいろいろなクイズ番組に出演された

「私もクイズが大好きで、「クイズヒントでピント」(テレビ朝日)にもレギュラーで出てましたし、明石家さんまさんと一緒にクイズ番組の司会を務めたことも。天才クイズでは動物クイズが好きでした」


―天才クイズの出演期間は10年と5カ月。歴代司会者4人の中で最も長かった

「そうだったらしいですね。事故もなく、けがもなく、大きな病気もなく。行きの新幹線が遅れて遅刻するといったこともなかったです。つつがなく(94年まで)10年間も続けることができてありがたかったです」 


―クイズに挑戦する小学生とのやりとりは大変だったのでは?

「スタッフの方からは、CBCテレビとともに続いてきた局の教育番組だと言われていました。すごくまじめな番組でした。お子さんたちもすごく緊張していて、1、2問目で間違えた子たちの落胆ぶりを見ると胸が痛くなって。でも、楽しい思い出になってくれるよう誤答で腰掛けることになっても『めっちゃ目立ってたね~』とか声をかけたりもしましたよ」


―CBCホールでの番組収録で、保護者が客席から観覧されていた

「中には途中で気持ち悪くなっちゃうお子さんもいましたし、帰りに(期待通りにいかず)親子げんかがあると美術さんから聞いたこともありました。でも、失敗も楽しくなるようにできないかとアシスタントの子たちと一緒にずっと目を配っていましたね」 


―2004年に番組が終了した時は寂しかった

「皆さんにこんなに愛されて、歴史のある番組だったので、私から(林家)正蔵さん(当時はこぶ平)に司会を引き継いだ後もずっと続くと思っていましたから、ショックでしたね」


―天才クイズがどうして長寿番組になったと思われますか?

「継続こそ力ということですか? 親御さんにとっても安心して子どもに見せられる教育番組で、学校や先生からも応援してもらえていました。私も責任を感じて、お子さんに『あの番組に出られた~』と言ってもらえるよう3代目司会者を務めさせていただきました。こんなにすごい番組に携わることができて光栄です」


「アタック25」や「THEクイズ神」(TBS)など数多くのクイズ番組で優勝している岐阜県出身の安藤正信さんも小学校6年のときに「天才クイズ」に出場しました。


「毎週、番組を見てました。出場した時は(全10問のうち)7問目で失格しました。間違えた問題は覚えていますが、それ以外は失格のショックであまり記憶がなくて」。


それでもリハーサルの時には司会者の斉藤祐子さんから「中学では何の部活に入りたい?」と聞かれたというそうです。 


その後は名古屋大学に進み、学内サークルのクイズ研究会に所属。


社会人になってもクイズを愛好する日々で、2016年には「大人の天才クイズ」にも出場しました。


「クイズにはまったきっかけは間違いなく天才クイズだった」。


番組出演がクイズ一色の人生に変えました。 


天才クイズのDNAを受け継ぐ特番「Pascoプレゼンツ 新天才クイズ ~2023夏~」が8月26日午後1時にCBCで放送されます。


司会はお笑いトリオ「パンサー」のメンバーで名古屋市出身の向井慧さん。


やはり中京ローカルです。


今回は小学生による3人1組のチーム戦で8月上旬にレギュラー番組時代と同じCBCホールで番組が収録される予定です。


定番の天才博士も番組に登場するほか、「てんさいクイズだ どんとこい」の歌詞で始まるテーマソング(作曲・小谷肇)も踏襲されます。


番組の平岩莉央プロデューサーは「再始動に向けては社内も天才クイズに愛を持っている人ばかりで応援する体制が整っていた」。


すぐにプロジェクトが立ち上がったというそうです。


今回は番組名に「2023夏」と銘打っており、今後も春休みなどの長期休暇に特番を継続していく構想もあるようです。


56年前の1967年7月26日の初回放送で出題されたクイズ12問は、どんな問題だったでしょうか。


◆天才クイズ第1回クイズ問題(1967年7月26日放送)


第1問 パーマンのスピードは、時速91kmである

第2問 10円硬貨は、磁石に吸いつく

第3問 2DKとか3DKというのは、薬の名前である

第4問 世界一長い川は、ミシシッピ川である

第5問 サザエさんに出てくるカツオはワカメの弟である

第6問 陸地は地球の表面の約半分である

第7問 ギターの弦は6本である

第8問 伊良湖岬は知多半島にある

第9問 カメもカエルも同じ両生類に属する

第10問 時計の針は、3時半と8時半とは同じ角度になる

第11問 金魚には胃袋がない

第12問 ツキノワグマは北海道にしか住んでいない


(出題文は当時のまま、正解は当時と現在で異なる場合があります) 


当時の問題の正答は現在と異なる場合もあります。


1967年7月26日の第1回放送の第1問は「パーマンのスピードは、時速91kmである」。


空を飛ぶ時の速度のこととみられるが、当時の答えは「イエス(⭕️)」でした。


1967年にはCBCを含むTBS系で旧作のアニメが始まっていることから栄えある第1問に採用されたとみられ、アニメ主題歌の歌詞には「じそくは91キロだい」とあります。


ところが現在では「ノー(❌)」。


1983年からの新作で設定変更され、速度は119km/hに改められ、放送もテレビ朝日系(中京地区ではメ~テレ)に変更されました。


第4問として「世界一長い川はミシシッピ川である」とあるが、当時の正解は「⭕️」だったが、現在は「❌」。


のちに詳しい探査で新しい水源が発見されるなどしたことで現在はナイル川が世界最長となっています。


 【問題の答え(当時)】

第1問⭕️(現在は❌) 第2問❌ 第3問❌ 第4問⭕️(現在は❌) 第5問❌ 第6問❌ 第7問⭕️ 第8問❌ 第9問❌ 第10問⭕️ 第11問⭕️ 第12問❌