日本記念日協会が認定している、キャラクターの記念日としては、2月1日の「プリキュアの日」、11月3日の「ゴジラの日」、そして7月19日は「サイボーグ009の日」があります。
その由来は、マンガ「サイボーグ009」(以下009)の連載が始まった日だからだそうです。
「009」といえば、石ノ森章太郎先生(発表当時は石森章太郎)の代表作と言えるSFマンガの名作。
その後の作品群にも大きな影響を与えた作品です。
「009」が最初に連載されたのは少年画報社の「週刊少年キング」でした。
若い世代の人には聞き覚えのない雑誌名だと思いますが、日本で3番目に創刊された週刊少年誌で、ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンと並んで5大週刊少年誌と呼ばれた雑誌です。
この「少年キング」で1964年から連載開始した「009」は、1年以上連載を続け、「ミュートス・サイボーグ編」で一応の完結をしました。
一応というのは、打ち切りだったからです。
そのため、「ミュートス・サイボーグ編」は、火山の爆発で敵味方共に行方不明という不本意な形での幕引きになりました。
しかし、「009」はここで終わりません。
秋田書店が「009」の単行本化に手を挙げ、自社で企画していたサンデーコミックスの第一弾として、1966年7月に「009」の1巻が発売されることになりました。
この単行本化で「ミュートス・サイボーグ編」は大幅な加筆がされ、現在のような形になります。
そして同時期、別の出版社からも救いの手がありました。
講談社の「週刊少年マガジン」が、「009」の真の結末を描く場所として連載を打診します。
石森先生はこれを受け、1966年27号から「地下帝国ヨミ編」の連載を開始しました。
この連載は結末を描くために始まったので、終わりを決めずにスタートしたそうです。
その結果、「009」初の長編となりました。
この「009」の結末を描くというスタンスから、宿敵であるブラックゴーストはこの「ヨミ編」で倒され、最後は002/ジェットと009/ジョーが死亡するような結末を迎えます。
この感動的な名シーンは、後にさまざまな媒体でオマージュされることになりました。
さらにこの時、忘れてはいけないのがこの同じ年に「009」初のアニメ化がされたことです。
それが1966年7月21日に1時間ほどの中編劇場版映画として製作された「サイボーグ009」でした。
人気があったことから1967年3月19日公開の「東映こどもまつり」枠で「サイボーグ009 怪獣戦争」が続けて製作されています。
その後、この2回の劇場版を製作したのち、テレビアニメとして「サイボーグ009」は1968年4月5日~9月27日までNET(現在のテレビ朝日)系で放送開始しました。
しかし、予算の都合でモノクロとなります。
アニメ化により「009」は当時の子供なら誰でも知っている名作となりましたが、その人気が思わぬ反響を生みました。
002と009を生き返らせてほしいという声が石森先生に多く寄せられたそうです。
そこで、ふたりの生存が描かれた「ヨミ編」以降の新たなシリーズが、秋田書店のマンガ月刊誌「冒険王」1967年5月号から始まりました。
この連載は1969年6月号まで続き、石森先生自らが筆を止めることになった「天使編」まで連載されます。
ここまでの作品は出版社に関係なくすべてサンデーコミックスの1巻から10巻として単行本化され、長らく完結したものとされてきました。
その後も石森先生は中断した「009」の「天使編」をリスタートしたと思われる「神々との闘い編」を「COM」(虫プロ商事)で連載し、「週刊少女コミック」(小学館)でいくつかの中編を掲載、「月刊少年ジャンプ」(集英社)や「プレイコミック」(秋田書店)などでは読み切り短編を描いています。
これらの作品は、ほとんどが再び動き出したサンデーコミックスの11巻~15巻に収録されました。
そして1979年、「009」は2度目のアニメ化が決まります。
この2作目にあたるアニメは前作の東映動画(現在の東映アニメーション)に代わり、東映本社のテレビ事業部(当時)が制作したもので、アニメ制作はサンライズが下請けしていました。
そのクオリティは当時のアニメファンから大きく評価され、1979年3月6日~1980年3月25日までテレビ朝日系で放送されました。
実は「009」の再度のテレビアニメ化はなかなか実現しなかったそうで、その理由として最初のテレビアニメが原作と違う部分が多かったからでした。
そこで今回のアニメ化にあたって石森先生は積極的に打ち合わせに参加し、主題歌「誰がために」も自ら作詞、時にはラフデザインまで描くほどの力の入れようだったそうです。
このテレビアニメ化に合わせて、新たに「009」の連載を始めたのが「週刊少年サンデー」(小学館)でした。
テレビに合わせてネオ・ブラックゴースト団を新たな敵として設定し、単行本一冊にまとまるような中編をいくつか掲載します。
この他にも日常編とも言うべき戦いのないドラマ重視の短編も何本か描いていました。
この他にも「少年ビッグコミック」(小学館)でも不定期掲載されています。
これらの小学館版の「009」は前述の秋田書店で刊行していたサンデーコミックス全15巻とは別に、少年サンデーコミックス(小学館)として全12巻が発売されました。
ちなみに、このふたつで重複された作品は一本もありません。
テレビアニメは好評だったことで延長も企画され、「ミューストサイボーグ編」をベースにした脚本やデザインも作られましたが、残念ながら実現には至りませんでした。
しかし、その人気の高さから3度目の映画化、前作までとは違って2時間を超える長編劇場用アニメ作品として「サイボーグ009 超銀河伝説」(1980年12月20日公開)が制作されます。
その後も石森先生のライフワークとして「SFアニメディア」(学習研究社)で1985年に「時空間漂流民編」が連載されるなど、「009」は掲載誌を変えて永遠に続くかに思えました。
しかし、1998年1月28日に石ノ森先生は死去、「009」も共に深い眠りにつきます。
ところが、石ノ森先生の最期が「009」の最期ではありませんでした。
新たなテレビアニメシリーズとなる「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」が2001年10月14日~2002年10月13日までテレビ東京系で放送されました。
また、石ノ森先生の長男である小野寺丈さんが執筆した小説、石森プロのスタッフによる「009」の新作マンガも発表されました。
2009年には、009が西暦に含まれる1000年に一度の年ということで、さまざまなイベントや企画が催されていました。
石ノ森先生による新作は見ることはできなくても、「009」という作品は永遠に不滅なのでしょう。