ホテル聚楽 | 女装男子かなこのブログ

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関東・東北地方のローカルCMなので、ずっと大阪に住んでいる私はリアルタイムで見たことはなかったのだが、YouTubeで見ていっぺんに好きになったのが、80年代のホテル聚楽のCMです。


マリリン・モンローのそっくりさんのスーザン・グリフィスが出て、「遊びきれないホテルは聚楽~」 というCMソングの後、色っぽく「聚楽よ~ん♥️」と言うCMです。

声は本家と同じく向井真理子さんが吹き替えをしていました。

当時放送されていたテレビアニメ「ヤットデタマン」(フジテレビ)でもネタにされていました。

株式会社聚楽は東京都千代田区に本社があり、関東・東北地方を中心にレストランやリゾートホテル、シティホテルを経営している会社です。


設立は1924年、創業者は「日本の食堂王」と呼ばれた加藤清二郎で、現在の加藤治社長は孫です。

ホテルジュラク(90年代以降、ホテルについては「聚楽」の表記がカタカナの「ジュラク」に変わっている)は飯坂(福島市)、みなかみ(群馬県みなかみ町)、万座(群馬県嬬恋村)、伊東(静岡県伊東市)、新潟(新潟市)、御茶ノ水(東京都千代田区)、神戸(兵庫県神戸市)の7か所があり、このうち飯坂温泉にある飯坂ホテルジュラクは地元では高級旅館の一つとして認知されているが、東京の会社がチェーン展開しているのではなく個人経営だと勘違いしている人が少なからずいます。


ホテルジュラク神戸は関西では初めての出店であり、同じビルの中には兵庫県の独立UHFのテレビ局、サンテレビもあります。

鉄道ファンの間で聚楽は上越線の特急「とき」(上野~新潟)の食堂車・車内販売、急行「佐渡」(上野~新潟)の車内販売、上越新幹線のビュッフェ・車内販売の営業をしていた会社としても知られています。



1962年の上越線急行の食堂車

上越新幹線の車内販売
200系の3人掛けシートは固定式で、半分は進行方向と逆向きに座りました。

上越新幹線の車内販売で、商品を積み込む様子


特急「とき」の食堂車は1962年の運転開始から日本食堂が営業していたが、1968年から聚楽も加わり、2社によって営業されていました。


特急「とき」は運転開始から181系電車が使用されていたが、1975年から加わった183系1000番台は食堂車がなく、車内販売のみでした。


特急「とき」の食堂車は1978年に廃止、列車自体も1982年11月の上越新幹線開業によって廃止され、「とき」の愛称は上越新幹線に引き継がれました。


上越新幹線のビュッフェ・車内販売も、日本食堂と聚楽によって営業していました。


新幹線の食堂車やビュッフェは時刻表に営業会社が掲載され、会社ごとに独自のメニューがあったので、食堂車やビュッフェの営業会社を選んで列車に乗り、食べ比べをした乗客もいました。


聚楽の列車食堂部門は1999年に聚楽ティ・エス・エスとして分社化されました。


聚楽ティ・エス・エスにはJR東日本の子会社の日本レストランエンタプライズ(NRE、旧日本食堂)も出資していたので、NREの商品も取り扱うようになり、メニューの独自性が少し失われました。


上越新幹線のビュッフェは2001年に営業終了、その後は車内販売のみに切り替えられました。


聚楽ティ・エス・エスは2011年4月にNREに合併されました。


テレビ番組についてかなり毒づいた調子で批評してる方のブログ(そのブログはフォローしていません)では、ホテル聚楽のCMがいじめの対象になってしまったというのです。


マリリン・モンローはセクシーさを売り物にしていたこともあったか(CMに出ていたのはそっくりさんだったけど)、多感な時期には多少刺激的な雰囲気をも感じられるせいか、学校でうかつに「ホテル聚楽」と口にしてしまうと「スケベ」とか何だとか言われたり、「家族旅行に行った」となると「ホテル聚楽にでも行ったのか?」などとからかわれたり。


そのブログ主は田舎特有の陰湿さからくる部分もあったと思うが、田舎暮らしが嫌でした。