1971年からのテレビアニメも大ヒットした昭和ギャグマンガの名作「天才バカボン」は、巨匠・赤塚不二夫先生(故人)の代表作のひとつです。
物語では自由で破天荒な「バカ」ぶりを発揮する「バカボンのパパ」を中心に、笑いにあふれすぎている展開が繰り広げられます。
そんなバカボンのパパは、「職業」や「名前」など謎多き人物です。
バカボンのパパの名前については、原作の「みんなそろってフチオさん」のエピソードで、パパが目ン玉つながりのおまわりさんに、「わしは田中田(たなかだ)フチオ」と語っている場面がありました。
しかし本名を名乗ったのではなく、パパ得意のジョークであったようで、ただ単におまわりさんをからかっただけだそうです。
パパは赤塚先生公認サイト「これでいいのだ!!」の質問コーナーで「好きな名前で呼んでいいのだ」とコメントしており、これも「自由人」なパパならではの発想といえるでしょう。
ちなみにバカボン一家の家には「バカボン」と書かれた表札が掛かっていますが、「バカボン」は苗字ではないそうです。
バカボンが迷わず家に帰ってこられるように、ママの優しさから掛けられているとのことでした。
続いて、パパの職業についてです。
アニメ第1期「天才バカボン」(1971~73年、読売テレビ)の第68話「パパはこうして植木屋になったのだ」にて、タイトルどおりパパの職業が明かされます。
学校で先生から将来の夢を聞かれて「ミラーマン」と答え、みんなに笑われたバカボンに対して、パパが「植木屋」になった経緯を語るのでした。
パパは洋服店、料理人、バレーボールの選手と色々な仕事に就きましたが、ネクタイやパスタ、バレーコートのネットをいずれもハサミで切る、という無茶苦茶な失敗ばかりでクビになったことを明かします。
しかし、最終的には失敗につながったハサミの腕を活かして、植木屋になり「バカとハサミは使いよう、なのだ」のパパのセリフで、同エピソードは締め括られます。
パパはそのまま植木屋になったのかと思いきや、後に放送されたアニメ第2期「元祖天才バカボン」(1975~77年、日テレ)以降は、パパの職業について描かれていません。
その理由は、アニメ第1期の制作時に主人公の父親(タイトル通り、本来はバカボンが主人公だった)が無職では教育上、子供に悪影響をおよぼすということで、製作者側がアニメ化を決定した際に職業を提案したそうです。
アニメ第1期でパパが仕事に就いたことは、赤塚先生は本意ではなかったのでしょう。
前述の公式サイトでは、パパの職業に関して「『パパ』であることがパパの仕事です。パパは、収入など野暮なことは気にしていません」というコメントを残し、第2期以降は植木屋の設定はなくなりました。
公式サイトでは、「タイトルの『バカボン』の意味を教えてください。」という質問に対して、「赤塚センセイが英語で放浪者を表わすvagabond(バガボンド)のように自由な主人公にしたかったから」と書いています。
そんな赤塚先生は、主人公のパパが定職に就くことに、合点がいかなかったのかもしれません。
ちなみにタイトルにはもうひとつ説があり、「主人公がバカなボンボン(主に関西地方で坊ちゃんのこと)だから」という意味もあるそうです。
また、生まれたときは「大天才」と称されたバカボンのパパが、「バカ」になった経緯には、一部では有名です。
これには3つ設定があるようで、まず、アニメ第1期の「天才バカボン」で交通事故に遭ったパパが、衝撃で脳みそが口から飛び出してしまうエピソードがありました。
その場を通りかかった馬がパパの脳みそを飲み込んでしまい、パパの脳と馬の脳が入れ替わることでバカになってしまうという衝撃的な内容です。
その他、アニメ第2期「元祖天才バカボン」で、パパが馬に蹴飛ばされたショックで脳みその歯車がイカれてしまい、バカになるというエピソードもありました。
そして、公式サイトで語られている「バカになった理由」は、原作の描写をもとにしているようです。
パパが生後2か月で道を歩いていた時に大きなくしゃみをした際、頭の部品が口から飛び出して川へ落ちてしまったため、ただのバカに生まれ変わってしまったというものでした。
バカなパパから天才のハジメちゃんが生まれたのは、実は天才だったパパのDNAが由来していたのかもしれません。