JR東海、西日本、九州の3社は10月17日、東海道、山陽、九州新幹線の車内に設けられた喫煙ルームを来年春に廃止すると発表しました。
JR東日本の東北、上越、秋田、山形各新幹線は2007年に喫煙席を廃止し、喫煙ルームも設けていません。
北陸、北海道、西九州新幹線は開業当初から全車禁煙です。
これですべての新幹線車内でタバコ🚬が吸えなくなります。
2003(平成15)年5月の健康増進法施行から20年。
禁煙の流れと、受動喫煙防止への取り組みは着実に広がってきました。
昭和から平成・令和へと、鉄道とタバコ🚬の歴史を振り返ってみましょう。
1974(昭和49)年夏、首都圏の駅で初の禁煙🚭️タイムが設定されました。
対象となったのは国電区間、新宿・渋谷・高田馬場・お茶の水・四ツ谷の5駅でした。
午前8時から9時、午後5時30分から8時30分の喫煙を遠慮してもらう、という趣旨でした。
プラットホームの各所に置かれた銀色の灰皿の記憶している人も多いでしょう。
しかし、当時まず問題とされたのは、喫煙場所でのタバコ🚬をめぐる煙の害ではなく、ラッシュ時の歩きタバコでした。
現在では考えられないが、満員電車から吐き出された乗客の多くが、駅の階段でタバコに火をつけたのです。
他人のタバコでやけどをする、火や灰が落ちて衣服が汚れる、ストッキングが焦げるなどの苦情が相次いでいたというそうです。
「ラッシュアワーに1時間も電車に揺られていると、どうしても降りたときに一服したくなる」 という通勤客が多数派の時代でした。
1974年の新宿駅乗降客は128万人。
中央線ホームを降り立った乗客の実に70%がタバコを手にしたというから驚かされます。
ちなみにこの年の日本人男性の喫煙率は82.9%、 女性は12.9%でした。
(日本たばこ産業(JT)全国喫煙者率調査)
禁煙タイムの設定にあたり、国鉄はポスター300枚を各駅に掲示したが、あくまでお願いするだけ、ぜひ協力を、という姿勢で、強制するわけにはいかないというのが当時の考え方でした。
ちなみに営団地下鉄(現・東京地下鉄)では、1970年から駅ごとに時間を決めて禁煙を呼びかけていたが、実効性は低かったというそうです。
国電の禁煙タイムは少しずつ効果を上げていきます。
実施から2か月で吸い殻は10分の1に減少。
禁煙駅はその後、都内に拡大していくことになります。
昔は特急や急行列車に乗り込むと、さまざまな匂いがしたものです。
座席のベロアの匂いとホコリの匂い、夏は冷房の湿った匂い。
そしてなにより強烈だったのが、車内に染みついたタバコの匂いでした。
旅行客で満員の優等列車では、リラックスした乗客の多くが自席でタバコを手にしていたから、終着駅に近づくと灰皿は吸い殻であふれていました。
トイレに立ってデッキから戻ると、車内が白くかすんでいることも多かったです。
紫煙が充満しているのです。
今では想像もつかないが、それが鉄道の旅の日常でした。
鉄道博物館(さいたま市)、青梅鉄道公園(東京都青梅市)、リニア・鉄道館(愛知県名古屋市)、京都鉄道博物館(京都市)では、往年の新幹線電車0系を見ることができます。
リニア・鉄道館以外で保存されている0系は、いずれも国鉄時代に廃車、保存されたので(鉄道博物館で保存されている0系は国鉄~JR西日本が研修用で保管していたものを譲り受けて移設、京都鉄道博物館の0系は交通科学博物館で保存していたものを移設)、開業当時の転換式シートが残されていて懐かしいです。
保存された鉄道車両の多くは火災防止のために灰皿が撤去されているのだが、これらの車両は当時のままです。
0系の車内は通路をはさんで2人がけ、3人がけの座席が並んでいます。
座席配置は現在と同じだが、窓の下には大型の灰皿、中央席と通路側の乗客用にも、手すりに小さな灰皿が設けられていることに注目。
通路をはさんで灰皿が5個。
この車両は15列なので、合計75個の灰皿があることになります。
それだけでも驚かされるが、0系は転換式の座席なので、座席を向かい合わせにしたときのために、よく見ると手すりの裏側にも灰皿がついています。
1両で軽く100個を越える数になります。
16両編成の夢の超特急は、先頭車から最後尾まで合計すると、実に1500~1600個の灰皿があったのです。
リニア・鉄道館で保存されている0系はJR発足後も営業運転に就いていたので、座席が交換され灰皿が撤去されています。
現在、東海道・山陽新幹線で喫煙可能なのは、N700系に設けられた喫煙ルーム3か所のみです。
東京駅では、列車折り返し時間の7分間で清掃を終わらせる優秀なスタッフが世界的に知られているが、大量の灰皿の吸い殻を片づける作業のあった時代は、清掃時間の短縮にも限界があったに違いありません。
当時の清掃員の方々の苦労がしのばれます。
1976(昭和51)年8月、東海道新幹線東京~新大阪間の「こだま」の16号車・自由席の1両に禁煙車が導入されました。(当時は「ひかり」と「こだま」で自由席の位置が逆だった)
女性客や子連れの旅行者に好評で、「ひかり」にも禁煙車を、との声が高まり署名運動も始まりました。
1978年、「嫌煙権確立を目指す人びとの会」が発足、「たばこのけむりが苦手です」のバッジやポスターが注目されます。
1980年には国と日本専売公社、国鉄を相手取り、列車内の禁煙化を求める嫌煙権訴訟も起こりました。
これらは公共交通機関が非喫煙者の声を取り入れていく契機となりました。
禁煙席と禁煙車は新幹線から在来線の特急や急行にも広がってゆきます。
翌1981年、在来線のテストケースとして、上野~新潟間の特急「とき」の12号車に、初めて禁煙車が設けられました。
禁煙車の設定は当初は自由席主体で、指定席やグリーン車に登場するのは1980年代半ばのことです。
1984(昭和59)年夏のダイヤ改正で、新幹線と在来線特急・急行の26%が禁煙となりました。
この時期の国内航空路線の禁煙席は25~35%ほどでした。
東京近郊区間の中距離を走る列車や、京阪神地区の新快速・快速にも窓辺に灰皿がついていました。
特急や急行列車以外でも乗客はタバコを吸えたわけだが、ラッシュ時には満員状態になる都心部から70~80km程度の区間は禁煙となっていました。
この区間はのちに延長され、東北本線では大宮から小山、高崎線では大宮から熊谷、常磐線では取手から土浦までが禁煙、関西の東海道・山陽本線では京都~西明石間から草津~加古川間が禁煙となりました。
ちなみに区間や時間を限定した禁煙車は、地方でも設定されています。
こちらは嫌煙をめぐる取り組みというより、もっぱら非行防止の側面が強かったようです。
1987(昭和62)年4月の国鉄分割民営化後、JR各社は禁煙への取り組みを強化していきます。
東京の旧国電区間では1978年までに全駅で禁煙タイムが設けられていたが、1987年7月、山手線の原宿駅・目白駅が初めて終日禁煙となりました。
この年、都心部の主要駅で行われたアンケートでは53%が全面禁煙に賛成、規制反対の声は7%だったというそうです。
昭和の終わりから平成にかけて、車内禁煙にも大きな転機がおとずれます。
JR九州では九州内の20線区が原則禁煙となり、「禁煙車」から「喫煙車」へと表示を改めて、喫煙可能な車両を限定。
1990(平成2)年にはJR東日本もこのやり方に続きました。
JR西日本では京阪神エリアが原則禁煙になりました。
JR東海・JR西日本は1996年、16両編成の東海道・山陽新幹線の10両を禁煙車とし、初めて禁煙車と喫煙車の比率が逆転しました。
21世紀に入り、駅や列車内の禁煙・分煙はさらに広がっていきました。
そして2003年5月、健康増進法が施行されました。
受動喫煙への対策は努力義務だったが、2020年の健康増進法改正により、公共施設・交通機関・飲食店などの屋内では原則禁煙とされました。
限られた喫煙ルームを除いて、駅構内や列車の座席での喫煙はついに過去のものとなりました。
愛煙家には極めて厳しい時代だが、ルールとマナーを守り、受動喫煙への配慮をお願いしたいものです。