川口浩探検隊 | 女装男子かなこのブログ

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1953年2月1日、NHK東京テレビジョンが放送を開始しました。


今年は「テレビ放送開始70年」という記念の年です。


この70年の歴史を後世に伝える「正史」には登場しないかもしれませんが、見た人に今も強烈な印象を残す伝説の番組があります。


1970年代後半から80年代にかけて、「水曜スペシャル」(テレビ朝日)の枠で放送されていた「川口浩探検隊シリーズ」です。


新聞14紙を購読する時事芸人のプチ鹿島さんが書いた、「ヤラセと情熱 水曜スペシャル「川口浩探検隊」の真実」(双葉社)。


探検隊OBたちへの聞き取り調査を軸に、前代未聞の番組作りの裏側に迫ったノンフィクションです。 


思えば「川口浩探検隊シリーズ」は、番組の内容もさることながら、各回のタイトルが秀逸でした。


1978年3月放送のシリーズ第1回は、 「20世紀の奇跡を見た!! ミンダナオ島人跡未踏の密林に石器民族は1000年前の姿そのままに存在した!」。


これが、その後、どんどんエスカレートしていきます。


「恐怖! 双頭の巨大怪蛇ゴーグ! 南部タイ秘境に蛇島カウングの魔神は実在した!!」(1982年) はたまた、 「謎の原始猿人バーゴンは実在した! パラワン島奥地絶壁洞穴に黒い野人を追え!」(同)。


ただし、実在したという双頭の巨大怪蛇ゴーグも謎の原始猿人バーゴンも、「世紀の大発見」として放送翌日の新聞紙面を飾ることはありませんでした。


でも、誰も文句を言いませんでした。


当時から、「川口浩探検隊」は見る側にツッコまれるという至芸を確立していたからです。


その象徴ともいえるのが、1984年に嘉門達夫(現・嘉門タツオ)さんが歌った名曲「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」(作詞:嘉門達夫・青木一郎、作曲:嘉門達夫)でしょう。


1番では、

川口浩が洞くつに入る

カメラマンと照明さんの後に入る

洞くつの中には白骨が転がる

何かで磨いた様なピカピカの白骨が転がる


2番には、

原住民が底なし沼にはまる

溺れている原住民の顔は笑ってる

さらに未開のジャングルを進む

道には何故かタイヤの跡がある

ジャングルの奥地に新人類発見!

腕には時計の跡がある

こんな大発見をしながら

けっして学会には発表しない

川口浩の奥ゆかしさに

僕らは思わず涙ぐむ

ゆけゆけ川口浩

ゆけゆけ川口浩

ゆけゆけ川口浩

どんとゆけ‼ 


歌で番組にツッコミを入れる嘉門さん。


それを嬉しがっている番組側。


その両者を楽しむ視聴者がいたわけで、まさに「ツッコまれるという至芸」です。


今ではヤラセの元祖のように扱われる「川口浩探検隊」ですが、あるスタッフは「ドキュメンタリーじゃなくエンタメ」だったと語っています。


また「ストーリーをまず作ります。オチを決めてからルートを考える」と証言するのは放送作家です。


とはいえ、番組は現地の伝説をもとに制作しており、完全な創作ではなかったところがミソです。


しかも、ロケ現場ではリアルな危険や困難と遭遇し、それを乗り越えての「巨大怪蛇ゴーグ」でした。


それまでネタとして許容されてきたものが、ある時期からヤラセと断罪されるようになっていった経緯も、この本では明かされています。


作り手たちにあふれる、「見る人を楽しませたい」という過剰なテレビ愛。


それは放送開始から70年が過ぎ、コンプライアンスで汲々とする現在のテレビが、ちょっとかわいそうになるほどの熱量だったのです。


シリーズは7年間にわたって続いたが、1985年10月に同じテレビ朝日の「アフタヌーンショー」が起こしたやらせ事件が社会問題となったことと、川口浩さんががんで療養に入ったこともあり、同年11月をもって終了しました。


シリーズ特別編として、川口さんの闘病を追った特番も放送されました。


当シリーズは放送終了後も根強い人気を誇っており、パロディ・オマージュ作品が多数制作されているほか、2002年以降には「スイスペ!」枠にて藤岡弘さんが隊長を務める「藤岡弘、探検隊シリーズ」が制作されました。


2005年には人気エピソード6本を収録したDVDも発売されました。


2020年6月12日放送の「マツコ&有吉 かりそめ天国」では「再放送委員会」のコーナー企画として1982年6月9日・1983年6月22日放送分の一部が放送されました。


同年11月6日より「今週の川口浩探検隊」と名称を変更し、本番組の再放送を行うコーナーに変更されています。


隊員として出演していた小山均さんによると、川口さんが療養から復帰した時に「ネタばらしをしてリセット」するつもりで「全て本当のことを話そう」ということで本シリーズの裏を全部明かすという特番をやろうということになっていたというそうです。


川口さんは探検隊はずっとやるつもりで、「ネタばらし特番」の後に自分のライフワークとして続けるつもりでいたというそうです。


この1988年の正月特番を想定し、その後川口探検隊は和製「インディ・ジョーンズ」と言われる冒険ドラマの制作に取り掛かるつもりだったと話していました。


しかし、川口さんが1987年11月17日に51歳で亡くなったことで、これらの全ては幻となりました。


小山さんは「川口さんは世間に対しては『我々は本当の冒険をやってる』という立場で亡くなった」ということで、ネタばらしをやってしまうと川口さんのことを茶化すことになり、結局インチキだみたいに思われかねないので、どこまで喋っていいのかわからなかったというそうです。


その後2005年にDVDが発売されたこともあって「もういい加減全部バラそう」という機運が高まり、この番組のエピソードを書籍化しようとする動きは何度かあったが、2006年9月末に、この番組の元プロデューサーによる1億3000万円の所得隠し及び下請け制作会社等への番組制作架空発注の発覚、翌2007年1月に「発掘!あるある大事典」(関西テレビ)で起きたデータ捏造問題が発覚して、「ヤバい」という空気になったということで書籍化の話もいつしか無くなってしまいました。


川口浩さんは、父は作家で大映専務だった川口松太郎氏(故人)、実母は戦前から戦後に大女優として人気を博した三益愛子さん(故人)、妻は女優だった野添ひとみさん(故人)、弟は俳優だった川口恒さんと川口厚さん、妹は女優で陶芸家だった川口晶さんという芸能一家でした。

ただ、恒さんは薬物事件での逮捕、晶さんは母の死去を機に芸能界から引退しました。

川口浩さんは芸能一家でもあった一方、自身だけでなく多くの親類・肉親ががん等に苛まれ、次女は17歳で早々と亡くなったことから、健康診断はこまめに受け続け、これまで探検先で人喰いピラニア、原始猿人、謎の地底人、古代恐竜魚、双頭の巨大蛇など数々の難敵に打ち勝ってきた天下の探検隊長も、病魔には勝てなかったんですね。

妻の野添ひとみさんも、1995年に58歳で亡くなりました。