日本の「スパイダーマン」 | 女装男子かなこのブログ

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2022年1月より日本公開された新作映画「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」。


「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」「モービウス」などのスピンオフ企画も続々と公開が待たれる中で、アニメ作品「スパイダーマン:スパイダーバース」の続編も2022年公開予定。


原作にもたびたび登場していることもあって、そこに登場すると噂されているのが1978年から1979年にかけて日本でテレビ放送された東映版「スパイダーマン」(東京12チャンネルほか)です。


東映版「スパイダーマン」は近年になって、ガシャポンやフィギュアーツといった商品化が連続するなど、再評価されているものの、その功績を知る人は少ないです。


あらためて東映版「スパイダーマン」の功績を振り返りってみましょう。


東映版「スパイダーマン」誕生の経緯は、とにかくお金が欲しかったのです。


1978年に東映がある試みに出ました。


それは「スパイダーマン」を日本で実写テレビシリーズとして制作することでした。


ことの発端はマーベルの代理人ジーン・ペルク氏が、日本でマーベル作品をどう売り込むかと悩んだ末に、行きついた先が東映による実写版「スパイダーマン」だったのです。


日本では以前から、アメコミの翻訳版が出版されてはいたものの、売れない日々が続いていました。


そもそも知名度が低いということもあったが、漫画そのもののスタイルの違いなどもあって、コミック自体を流通させるのが難しいと考えられていました。


ジーン氏の妻は日本人ということもあって、たびたび来日していました。


その際に子どもが「仮面ライダー」や「人造人間キカイダー」などの等身大変身ヒーローを夢中になって見ている姿を目にしたことで、特撮ヒーローを生み出し続けている東映に話を持ち込むことになったのです。


そこで提示された条件は「東映はマーベル、マーベルは東映のキャラクターを好きに使ってよい」というもので、互いに了承しました。


東映はさっそく「スパイダーマン」の企画を提示してきました。


「スパイダーマン」はそれ以前にも1970年から「月刊別冊少年マガジン」内にて、池上遼一氏によって漫画化がされていただけに、マーベルの中でも少しは知名度のある作品として選ばれたのかもしれません。


マーベルのスタン・リー氏は、日本国外に東映版「スパイダーマン」を出さないことを条件にゴーサインを出したことで本格的に企画はスタートしました。


それは逆にアメリカでは放送しないから、とにかくお金になれば自由にして良いという意味でもあったのです。


ジーン氏は、東映の特撮番組がキャラクター商品を売るための宣伝として機能していることにも注目したが、スパイダーマンは基本的にメカや乗り物に乗るキャラクターではなかったため、商品として売り出すには素朴すぎました。


そこで東映「スパイダーマン」にロボットが登場することになったのです。


デザインを持ちかけられたのは、「超電磁ロボ コン・バトラーV」や「未来ロボ ダルタニアス」などの玩具デザイナー・メカニカルデザイナーとして知られる村上克司氏でした。


村上氏は、スフィンクスのような形状をした宇宙船マーベラーが変形し、「レオパルドン」というロボットになるデザインを発案しました。


東映は少し前に「大鉄人17」で変形ロボットのシステムを取り入れていたこともあって、「スパイダーマン」に関しても変形ロボのスタイルが採用されました。


「大鉄人17」の場合は、「ジャイアントロボ」と同様に、ロボットが主体で人間側は操縦する立場でしかありませんでした。


主体は等身大ヒーローで、サポートとしてロボットが登場するという東映特撮は「スパイダーマン」が初めてとなりました。


「キャプテン・アメリカ」のリメイクとして「キャプテン・ジャパン」が企画され、諸事情により「バトルフィーバーJ」(テレビ朝日)というタイトルで1979年から1980年にかけて日本で放送されました。


国をモチーフとしたデザインという設定は残され、胸にキャプテン・アメリカの初期シールドを思わせるエンブレムがつけられています。


この「バトルフィーバーJ」にも「スパイダーマン」で好評だった巨大ロボットが引き続き採用されました。


スーパー戦隊シリーズは1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」と1977年の「ジャッカー電撃隊」の2作品(ともにテレビ朝日、石ノ森章太郎原作)で一度終了を迎えていました。


だが、「スパイダーマン」で初めて採用された「レオパルドン」のおもちゃの売上が成功したことで、戦隊ヒーローにも変形ロボットを登場させるという案が通り、見事「バトルフィーバーJ」で番組が復活したのです。


同作品以降、シリーズに巨大ロボ戦が導入され、本格的なスーパー戦隊シリーズとして再スタートを切ったのです。


このことから90年代ぐらいまでの媒体によっては「バトルフィーバーJ」がスーパー戦隊1作目とされており、過去のスーパー戦隊が登場する「地球戦隊ファイブマン」の第1話でも「初代」とされました。


つまり、東映版「スパイダーマン」は、現在の等身大ヒーローとロボットの組み合わせの基礎を作り出した作品でもあるのです。


ちなみにスーパー戦隊シリーズとしては、「電子戦隊デンジマン」「太陽戦隊サンバルカン」もマーベルとの提携作品として扱われていて、海外での商品展開の場合、例えば「海賊戦隊ゴーカイジャー」のレンジャーキーなどから、この3作品のキャラクターが外されていることもあります。


その他にも「ムーンナイト」や「シルバーサーファー」の東映によるリメイクも企画されていたとされていて、「宇宙刑事ギャバン」がシルバーサーファーのボツ企画が派生したという説もあるなど、マーベルコミックと日本の特撮は切っても切り離せない関係にあります。


一方、マーベル側もレオパルドンのおもちゃの売上に手応えを感じ、ロボット人気に便乗するかたちで、東映の「惑星ロボ ダンガードA」や「勇者ライディーン」などのロボットヒーローを主人公としたコミック「ショーグン・ウォリアーズ」を出版しました。 


その成功によって、「トランスフォーマー」のコミックも前向きに出版されることになります。


同作のおもちゃ自体はコミックより以前から展開されていたが、80年代に刊行されたマーベルコミック版からストーリーの基礎が固まり、そこから人気が定着しました。


「トランスフォーマー」のヒットを受け、アメリカでのロボットヒーロー人気がさらに加熱していきました。


東映版「スパイダーマン」はアメリカでは2009年まで、公にはされてこなかったが、そこから派生していった作品からの影響を受けたものは非常に多いのです。


東映版「スパイダーマン」が黒歴史と呼ばれていた頃もあったが、この作品がなければ、今存在していない作品も多いのではないでしょうか。