道上洋三アナ、「おはパソ」卒業へ | 女装男子かなこのブログ

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1977年3月にスタートした「おはようパーソナリティ道上洋三です」(朝日放送ラジオ(ABCラジオ)、月~金曜午前6時30分)のメインパーソナリティー・道上洋三アナウンサーが来年3月に番組を卒業することが12月20日の放送で発表されました。


道上アナは9月11日に脳梗塞を併発し、緊急入院しました。


道上アナの代役としてこの日出演の伊藤史隆アナウンサーが「45年、愛していただいた『おはようパーソナリティ道上洋三です』、道上洋三さんは3月末で卒業させていただきます」と発表。


さらに道上さんの現状をABCラジオからのお知らせとして報告しました。


伊藤アナは「今はリハビリ専門施設がある病院に転院し、治療を続けています。右足はうまく動きませんが、装具を付けて歩くためのリハビリを行ってます。こちらが話している言葉は理解されていますが、うまく言葉が出てきません。そのため唇や舌を動かすリハビリを行い、スムーズに話ができるよう頑張っています。しかし、現時点での診断には、治療やリハビリには今後も時間がかかる見込みです」と説明しました。


現状を踏まえ、同局スタッフと道上さんの家族を交えて協議を重ね、78歳という高齢、早朝の帯番組の生出演という厳しい条件を鑑み、治療に専念することを優先させるため番組の卒業という判断に至りました。


同局は「『おはようパーソナリティ』卒業は、45年という長い年月を共に過ごしたリスナーの皆様にとっては大変残念な報告とはなりますが、今後は、他の番組で道上がラジオの仕事に復帰できるように、朝日放送ラジオとしてもリスナーと共に、その時を待ちたいと考えています」と説明しました。


道上洋三さんは1943年生まれ、山口県出身。


日本大学を卒業後、1965年に朝日放送に入社しました。


ラジオでは「ABCヤングリクエスト」の初代パーソナリティー、テレビでは「ヤング720」「モーニングジャンボ奥さま8時半です」(TBS)などを担当、高校野球やプロ野球の実況も担当しました。


「ヤング720」「モーニングジャンボ奥さま8時半です」は朝日放送のテレビがTBS系だった時代に帯番組で放送されていました。


1977年から「おはパソ」として親しまれる朝の番組のパーソナリティーを務めてきました。


「おはパソ」を担当するようになったきっかけは、前任者の中村鋭一アナウンサーが参議院議員選挙への出馬を表明したことによります。


当時30代半ばだった道上さんは、「中村さんの番組は完成され尽くしている。私ごときが後任とはおこがましい」として出演を固辞していました。


しかし、後任を打診していた筑紫哲也さん(故人)などとの交渉が不調に終わったという局内事情を背景に、「お前以外に考えられない」という強い要請で「おはパソ」を引き継ぐことになりました。


そのため、担当開始から3年間は、常に「辞めたい」「しんどい」「もうええわ」という思いを抱きながら放送していたそうです。


しかし、レギュラーゲストである高石ともやさんの勧めで、1981年12月に130名のリスナーとホノルルマラソンへ出場しました。


フルマラソン初挑戦ながら、6時間39分49秒で完走しました。


この完走を境に、「自分のカラーで番組を続けていけるのではないか」と勇気と自信を持てるようになった道上さんは、現在でもホノルルマラソンを「『おはパソ』の原点」と称しています。


翌年3月29日から4月2日までは、道上さんが自転車で移動しながら生中継に臨んだ企画「瀬戸内サイクロソン」を実施しました。


道上さんの地元・山口県平生町の町役場を出発点に、高松市(香川県)、鳴門市(徳島県)、淡路島、西宮市(いずれも兵庫県)を経由したうえで、当時大阪市大淀区にあった朝日放送の本社まで5日がかりで移動、その様子を生中継しました。


道上洋三さんは阪神タイガースの大ファンで、「おはパソ」では、プロ野球シーズン中の生放送において、前日に阪神タイガースが勝利を収めると阪神タイガースの歌(いわゆる「六甲おろし」)をフルコーラスで歌うことで有名です。


過去には「阪神優勝か?」の賭けに敗れ、滝に打たれたり、巨人のレプリカユニホームを着させられ巨人の球団歌「巨人軍の歌」(闘魂こめて)を歌わされたこともありました。


また、番組の企画でホノルルマラソンのほかにも水泳の長距離完泳を果たしたほか、和太鼓やマスターズ陸上の予選会(短距離走)などにも挑戦しました。


1995年3月を目途に、ラジオパーソナリティからの引退を検討しました。


阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震、同年1月17日)の発生直後には、「おはパソ」で被災地からの情報を伝えました。


しかし、それから被災地の取材・被災者とのやり取りを重ねるにつれて、ラジオパーソナリティと無力さを痛感し、パーソナリティーを続けることを決めました。


2003年に朝日放送(旧法人)の取締役へ就任してからも、アナウンサーとしての活動も続けていました。


同局の取締役がアナウンサーを兼任した事例は、この時の道上さんが初めてであり、テレビ朝日系列全体でも堀越むつ子アナウンサー(テレビ朝日)だけでした。


しかし、「アナウンサー業務と取締役との兼業が成り立たなくなった」ことを理由に、2007年6月27日付で取締役を退任しました。


常勤顧問へ就任するとともに、エグゼクティブアナウンサーの待遇を受けるようになりました。


2006年、右目奥に脳腫瘍が見付かったことを公表しました。


視覚・嗅覚の神経を塞いで生活に支障を来すほどになっていたため、番組を休んで腫瘍の摘出手術を受けることを決めました。


同年8月3日に手術がおこなわれ、同25日に退院しました。


術後の回復も順調であったため、9月25日の放送から番組に復帰しました。


この間は、後輩の三代澤康司、浦川泰幸両アナウンサーがパーソナリティーを代行しました。(三代澤康司アナウンサーは2021年3月に定年退職したが、現在もフリーアナウンサーで活動中)


「おはパソ」が放送40周年を迎えた2017年に、中村鋭一さんは肺炎のため87歳で死去しました。


道上さんは、中村さんの死去から2日後(11月8日)の放送で訃報を伝えた際に、「(担当開始から)40年かかっても、『大先輩(の中村)に追い付き、追い越せた』と思えた日は1日もありません」とのコメントを添えました。


2006年に受けた髄膜腫の手術で4~5%程度の髄膜腫が残っていることが、2018年の経過診察で判明しました。


主治医と相談した結果、例年全国高等野球選手権本大会の期間中(8月上旬 ~中旬)に取得している2週間の夏季休暇を延長したうえで、髄膜腫の放射線治療を受けることを2018年6月18日(月曜日)の放送中に発表しました。


このため、同年7月9日(月曜日)から8月31日(金曜日)まで「おはパソ」を再び休演しました。


休演期間中は、番組のタイトルを変えずに、堀江政生アナウンサーがパーソナリティを代行しました。


2018年4月1日に朝日放送が放送持株会社の朝日放送グループホールディングスへ移行、朝日放送のアナウンサーは全員が旧会社からテレビ放送などの事業を継承した朝日放送テレビへ自動的に転籍しました。


「おはようパーソナリティ道上洋三です」は来年3月までそのままのタイトルで放送、同局アナウンサーが交替で代役を務めます。


来年4月以降については番組名を一新するか「おはようパーソナリティ」の名前を残すか検討していくそうです。


ただ、道上洋三さんが復帰するとしても、担当は朝の番組にはならないそうです。