日本人で初めて中学卒業から直接、アメリカ大リーグ球団と契約した結城海斗投手が現役を引退していました。
カンザスシティ・ロイヤルズ傘下のマイナー(ルーキーリーグ)に所属したが、6月に自由契約となっていました。
関係者によれば右肘を痛めたことが理由です。
16歳だった2018年7月に結城は「(日本の高校で)甲子園(を目指す)よりアメリカで野球をしたい」と渡米。
当時188センチ、73キロの最速144km/h右腕は7年のマイナー契約を結び、チーム関係者から「ネクスト・ダルビッシュになれる」と期待されました。
だが、公式戦での登板は一度もありませんでした。
関係者は「(自由契約の前は)投げても力が入らず(球速が)120km/hキロ前後ぐらい。本人も自信をなくしていた。やれることは可能な限りやった」と逸材の引退を惜しんでいました。
1990年代末から2000年代前半まで、日本の高校卒業またそれに近い年齢のプロ経験のない若者が、アメリカ大リーグ球団とマイナー契約を結んだケースが見受けられました。
彼らは基本的にマイナーリーグで一番下のルーキーリーグからスタートしたが、 ほとんどの人がそれより上に上がれませんでした。
ただ一人、メジャーまでたどりり着いたのがマック鈴木投手でした。
マック鈴木投手は諸般の事情から甲子園に出場経験のある高校を中退した元ドラフト候補で、 日本のプロ野球のスカウトもお目にかからなかった選手が大リーグと契約してもメジャーまで取り付くのはほぼほぼほぼ無理でしょう。
アメリカのルーキーリーグで若くしてプレーした選手は、誰よりもまず野球よりもアメリカの生活になじむ、プロの生活に慣れることが大変だったと口をそろえて言います。
マイナー生活は日本のプロ野球の二軍よりも過酷な生活だったことは想像に難くありません。