復活したアサヒ生ビール | 女装男子かなこのブログ

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家飲みの時のビールはアサヒスーパードライが多いが、このほどアサヒ生ビール(通称マルエフ)が9月14日、なんと28年ぶりに一般向けの発売が復活したので、買って飲んでみました。


スーパードライは辛口でキレのある味わいだが、アサヒ生ビールは苦味の中にまろやかさを感じます。


1980年代前半、ビール業界シェアはキリンビールが約60%を占め、アサヒビールは全体の10%近くまで落ち込んでいました。


窮地を救ったのが、1986年に発売されたアサヒ生ビール、1987年に発売されたアサヒスーパードライでした。


アサヒ生ビールは通称マルエフと呼ばれました。


これは開発記号がFortune Phoenix(幸運の不死鳥)を意味するからです。


アサヒビールはこれで一気に覇権をとったと言われています。


特にアサヒスーパードライは味が革新的だったのはもちろん、小売での販売戦略や飲食店への熱心な営業が実ったと言われています。


アサヒ生ビールはアサヒスーパードライの生産に注力するため1993年に一般向けの販売を終了、その後は飲食店向けのみの販売となっていました。


9月14日、アサヒ生ビールの一般向けの販売が28年ぶりに復活しました。


缶のロゴの書体もレトロなデザインとなり、開発記号の由来となった幸運の不死鳥も描かれています。


アサヒビールでは、アサヒ生ビールをアサヒスーパードライに次ぐ第2の柱にしたいと考えています。


アサヒ生ビールは予想を上回る売れ行きで生産が追いつかなくなり、発売から3日で出荷を休止しました。


私の父は家飲みではずっとアサヒビールを飲んでいました。


酒屋さんに注文してケースで届けられていました。


一般家庭が酒屋さんからビールをケースで注文するってことは今では少なくなりました。


今はお酒はコンビニ、スーパーで気軽に買えるようになりましたしね。


アサヒビールの創業の地であるのが大阪府吹田市です。


アサヒビール吹田工場の中には「先人の地」の碑や迎賓館があります。


工場に程近い泉殿神社にある霊泉は炭酸塩を含まない軟水で、ビール作りに最適でした。


残念ながら、その霊泉は今は枯れてしまいました。


アサヒビール吹田工場は創業から現在にわたり、吹田市の経済を支えています。


吹田市の小学校では、3年生がアサヒビール吹田工場を見学するのが恒例となっています。