中日ドラゴンズは6日、木下雄介投手が3日に死去していたことを発表しました。
27歳でした。
同投手は7月6日のナゴヤ球場での練習中に意識を失い、救急搬送。
高度な医療体制を持つ病院に入院して加療を続けていたが、意識不明の状態が続き、帰らぬ人となりました。
ナゴヤ球場で取材に応じた加藤球団代表は死因などについて「家族の意向もあるので言えない」と説明しました。
約1か月間、球団発表がなされなかったことについても家族の強い意向があったことを明かしました。
木下さんは右肩の故障で駒沢大学を1年途中で中退後は、アルバイトをしながら生活するなど一度は野球を離れました。
しかし、2015年に入団した独立リーグ、四国アイランドリーグ・徳島で光るものを見せ、育成選手としてプロ入りしました。
2018年に支配下選手登録されました。
2019年に父・隆さんを交通事故で亡くす不幸があり、2020年のキャンプでは左足首を負傷して手術。
それでも不屈の闘志で困難を乗り越え、9月5日のヤクルト戦(神宮)でプロ初セーブを挙げました。
150km/h前後の直球を武器に、今季はリリーフとして初の開幕一軍入りも見えていたが、3月21日の日本ハムとのオープン戦(バンテリンドーム)で右肩を脱臼。
右肩脱臼修復術とともに右肘内側側副じん帯の再建手術(トミー・ジョン手術)を受け、復帰を目指していました。
球団では新型コロナウイルスのワクチン接種を進めており、同投手も6月28日に1度目の接種を受けていたが、因果関係について同代表は「私から答えることはない」としました。
通算成績は37試合登板、0勝0敗1セーブ1ホールド、防御率4.87でした。
◆プロ野球現役選手の主な急死
▼佐藤喜久雄選手(セネタース)1936年7月29日、日射病。享年18。
▼北井正雄選手(阪急)1937年8月7日、腸チフス。享年24。
▼神田武夫選手(南海)1949年7月27日、肋膜炎。享年21。
▼黒沢俊夫選手(巨人)1947年6月23日、腸チフス。享年33。
黒沢選手の遺体は本人の遺志に従いユニフォーム姿で火葬されました。
黒沢選手の背番号4は、第二次世界大戦で戦死した沢村栄治投手の背番号14とともに、日本プロ野球初の永久欠番になりました。
▼加藤斌選手(中日)1965年1月4日、交通事故。享年20。
運転していた自動車が民家のブロック塀に激突した自損事故でした。
▼土橋修選手(阪神)1966年12月21日、交通事故。享年22。
道路横断中に車にはねられ死亡。
▼宇佐美和雄選手(西鉄)1969年3月14日、外傷性ショック。享年18。
練習中に他の選手が打った打球が左胸を直撃して死亡。
▼ルー・ジャクソン選手(アトムズ)1969年5月27日、膵臓がん。享年33。
オープン戦で試合中に倒れ、救急搬送され手術を受けたが病状は改善しませんでした。
ファイト溢れるプレーで日本でも人気が高く、オールスター戦にも出場しました。
その一方で妻との関係が悪く、日本には単身で来日しており、私生活では3度の食事が全て肉で野菜はほとんど食べないという極端な偏食で、ホームシックを紛らわすために毎日大量のビールを飲んでいました。
現時点では日本で死亡した唯一の大リーグ経験者です。
▼湯口敏彦投手(巨人)1973年3月22日、心臓まひ。享年20。
1970年のドラフト1位で入団、大形左腕投手として期待されていました。
うつ病で入院中だったため自殺も疑われ、そのため当時は週刊誌で巨人叩きの記事が多く書かれました。
長年に渡って巨人の二軍コーチや寮長を務め、厳しいしつけと情熱あふれる指導で若手選手の父親代わりのような存在だった武宮敏明さん(故人)は、自著「巨人軍底力の秘密」で、「生真面目すぎて相手の性格に合わせる指導をせず、常に湯口を緊張状態においていた二軍監督(中尾)と繊細な湯口との取り合わせは最悪だった」と長年のコーチ、寮長としての若手指導経験から中尾碩志二軍監督を批判しており、球団内部でも、自分たち(球団)に落ち度があることを認めている人間も少なくありませんでした。
武宮さん自身は、当時コーチ兼任のスカウト部長に転出していた関係で寮長職を離れていたため、湯口投手を直接指導する機会は少なく、詳しい経緯を把握できなかったというそうです。
▼板沢峰生内野手(西武)1980年12月3日、急性心不全。享年19。
▼久保寺雄二内野手(南海)1985年1月4日、急性心不全。享年26
▼藤井将雄投手(ダイエー)2000年10月13日、肺がん。享年31。
藤井投手がつけていた背番号15は藤井投手の死後は使用されておらず、これがソフトバンクになった今でも続いており、事実上の永久欠番となっています。
▼ミゲール・デルトロ投手(西武)2001年10月6日、交通事故。享年29。
シーズン終了後に帰国中、交通事故で死亡。
このシーズン限りでの退団が決まっていたが、死亡した時点ではまだ自由契約として公示されていませんでした。
▼小瀬浩之外野手(オリックス)2010年2月5日、転落死。享年24。
アメリカ大リーグでは2011年以降でも6人が現役のまま亡くなっています。
最近では2019年7月1日(現地時間)、タイラー・スカッグス投手(ロサンゼルス・エンゼルス)が亡くなりました。
同日行われる予定だったテキサス・レンジャーズとの試合は中止となり、翌日の試合でエンゼルスの選手全員がスカッグス投手の背番号45をつけてプレーして死を悼みました。
また、同年のオールスター戦でも試合前に出場選手全員が黙祷を行い、スカッグス投手の冥福を祈りました。
アメリカ大リーグで現役のまま亡くなった選手としては、ロベルト・クレメンテ選手(ピッツバーグ・パイレーツ)が有名です。
ロベルト・クレメンテ選手は1972年の大みそか、ニカラグア大地震の際に故郷・プエルトリコに救援物資を届けようとし、輸送機の墜落事故で38歳の若さで亡くなりました。
ピッツバーグ・パイレーツ一筋で首位打者を4度獲得し、通算3000安打、打率.317、背番号21はパイレーツの永久欠番になり、死去の翌年の1973年には特例でアメリカ野球殿堂入り、グラウンドの活躍だけでなく社会貢献に尽力した選手を表彰する「ロベルト・クレメンテ賞」にその名を残しています。