平成初期のヒット曲に、KANさんの「愛は勝つ」があります。
もともとは1990年7月発売のアルバム「野球選手が夢だった。」の中の曲だったが、1990年9月にKANさんの8枚目のシングルとして発売、翌1991年に放送された「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」(フジテレビ)の挿入歌として大ヒットして、KANさんは同年のNHK紅白歌合戦に出場を果たしました。
1994年には高校の音楽の教科書にも採用されるほどになりました。
私のブロ友(Seesaaブログですが)がブログ記事にしていましたが、「愛は勝つ」はシングル発売前にクイズ番組で使われた曲だというそうです。
しかも、わずか2か月しか放送されなかった短命番組です。
そのクイズ番組とは、1990年8~9月のわずか2か月間しか放送されなかった「クイズおもしろTV」(テレビ朝日)です。
これは懐かしのテレビ番組を題材にしたクイズ番組で、司会は高田純次さんと現在は立憲民主党代表代行・参議院議員の蓮舫さんでした。
わずか2か月間の放送かつ改編時期と関係ない8月スタートだった理由は、前番組の「カッ飛び!花マル塾」が低視聴率でわずか4か月で打ち切りとなり、改編までのつなぎ番組として作られたからです。
筆記問題と早押し問題を数問ずつ出題、筆記問題での正解は1ポイント~2ポイント、早押し問題では正解1ポイント、不正解は1ポイント減点。
最終問題は街頭インタビューをもとにした早押し問題で5ポイントからスタート、時間が経つとともに獲得ポイントが減る形式で、正解した時点のポイントが加算されるという流れでした。
「愛は勝つ」が流れるエンディングの後、アニメ「ドラえもん」に関するクイズが出題されていました。
2か月間という短命クイズ番組の後に別番組で使用されて大ヒットしたが、「愛は勝つ」がクイズ番組のエンディングで使われたという事実は知られることがなかったといっても過言ではありません。
「愛は勝つ」がシングルとして発売された理由は「クイズおもしろTV」のエンディング曲に使用されたからではなく、大阪のFMラジオ局FM802が番組を問わず流しまくるヘビーローテーション曲に選び、そこから人気が出たからです。
「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」は山田邦子さんの冠番組でしたが、その山田邦子さんも短命クイズ番組の司会をしていました。
その番組とは、「あんたが出番・面白Q!」(TBS)です。
「あんたが出番・面白Q!」は、1984年4~6月の3か月間しか放送されませんでした。
放送時間は午後0時~0時40分でした。
前番組の「スーパーダイスQ」が視聴者参加だったのが一転して芸能人が解答者のクイズ番組となり、続きで放送していた「悪友親友」も終了させての40分番組でした。
「スーパーダイスQ」「悪友親友」ともに高視聴率を挙げていたが、「あんたが出番・面白Q!」は一転して視聴率が振るわず、3か月で終了してしまいました。
3か月で終了といっても月~金曜の帯番組だったので、放送回数は約60回と週1回放送なら1年2か月分になりました。
山田邦子さんの司会ということで、クイズ番組ではめったにない女性タレントの司会でした。
しかも、後に同じ枠で短命クイズ番組が放送されていました。
その番組とは、「おサイフいっぱいクイズ!QQQのQ」です。
1998年9月28日から12月25日まで毎週月曜~金曜午後0時~0時55分に放送され、上岡龍太郎さん、笑福亭笑瓶さんらが司会を担当し、斎藤陽子さんが進行役を務めていたクイズ番組でした。
かつて同じ時間帯に放送していた視聴者参加型クイズ番組「ベルトクイズQ&Q」「スーパーダイスQ」の再来を狙ったような番組でした。
しかし、裏番組に「笑っていいとも!」(フジテレビ)「おもいっきりテレビ」(日テレ)「ワイド!スクランブル」(テレビ朝日)があり、平均視聴率は※印(1%未満)~2%と見るも無惨な低視聴率のため、たったの3か月で打ち切りとなった、ある意味、低視聴率番組マニアの間からは「伝説の番組」となっている番組です。
「天才バカボン」でおなじみの本官(おまわりさん)とウナギイヌが暴れまくるオープニングアニメと、ウナギイヌをモチーフにしたタイトルロゴは、赤塚不二夫さん(故人)率いるフジオプロが担当しました。
セットにも本官とウナギイヌのイラストがあり、棒つかみのセットにはウナギイヌが用いられていました。
この番組は、メイン司会者の上岡龍太郎さんのスケジュールの関係で、基本的には月曜日だけ生放送で行い、その生放送終了後、なんと火曜~金曜日分を一気に収録して放送されていました。
しかし、途中からは日曜日に2週間分を一気に収録するなどかなり特殊な形で番組収録が行われていました。
解答者は2人1組で、クイズに挑戦し成功すると、現金つかみ取りに挑戦出来ました。
【第1ステージ】
・即答!エントリークイズ
テーマ問題を出題。
出題される問題を5秒以内に答えます。
交互に解答して、10問中6問正解でクリア、現金つかみ取りの時間10秒を獲得となります。
このクイズをクリア出来なければ失格となり、獲得賞金が0円となりました。
【第2ステージ】
・クイズ2人でせーの!
連想問題の答えをフリップボードに書き、2人の答えを合わせ、5問中3問正解でクリア。
・山手線クイズ
山手線ゲームの要領で、テーマに当てはまる解答を交互に答えますが、正解が出るまで相手に解答権は移りません。
30秒以内に10問正解でクリア。
・記憶力クイズ
朗読される文章を記憶、記憶した文章に関する問題を出題。
1問ずつ交互に解答、8問中5問正解でクリア。
・クイズ2人でQQQ
答えが2個ある問題を出題、解答を1個ずつ、計2個とも答え、5問中3問正解でクリア。
上記のクイズのうち、1つがランダムで出されました。
クリアできれば現金つかみ取りの時間10秒を獲得、計20秒獲得となりました。
【現金つかみ取り】
この番組のメイン企画。
クイズ終了後、現金つかみ取りステージへ移動。
1円から500円の現金が入った容器と現金を集計する機械の容器の間に、2つの浮き島のような台に2人が立ち、クイズで獲得した秒数以内に1人目が両手で現金をすくってで2人目に渡し、受け取った2人目が現金を集計する機械の容器に現金を入れます。
時間切れで横にスライドする蓋が閉まり、最終的な合計金額を集計します。
【棒でボーナス棒つかみ!】
番組終盤のボーナスステージ。
台に腕を乗せ(台は自動で上下に昇降して、人差し指の境に棒が来る様にセッティングする)、ランダムなタイミングで落とされる棒をつかみます。
棒はまん中を境に赤と青に塗り分けられ、種類は長さ15センチの10万円棒と、長さ10センチの30万円棒があり、獲得賞金の多いチームからゲームに挑戦するか挑戦しないかを選択出来ました。
ただし10万円棒・30万円棒はそれぞれ必ず1チームが挑戦しなければならず、獲得賞金0円チームは必ず挑戦する事となりました。
選択後はチームで1人1回挑戦、2人のうちどちらか成功で賞金獲得でしたが、2人とも失敗で獲得賞金が半減となりました。
番組初期の頃、棒を待っている間に指を曲げて待機して棒を取った事例があり、以降は台に黄色い棒のラインが刺され(右利き・左利きに合わせて棒を刺し替える)、ゲーム挑戦中にそれを超えてしまうと「指を伸ばして!」コールが出される様になりました。
クイズの難易度は低く、特に顕著な例としては1998年10月19日放送分にて「銭湯によく描かれている、日本一高い山といえば?」という出題がありました。
最終回前日の深夜(当日の未明)に放送された「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」(フジテレビ)に笑瓶さんが電話で出演し、初めてのメイン司会のこの番組が3か月で打ち切られたと言う不幸話を披露し、見事合格で賞品を獲得しました。
その際笑瓶さんは、この番組が生放送ではなく実は収録、それも5本撮り(1日で5回分の放送を収録)であったことを暴露しました。
上岡さんも、この番組が開始する前後に、5本撮りの録画放送であることを暴露する発言をしていました。
これは、上岡さんがサラリーマンのような生活を嫌っており、それ故、生の帯番組には絶対に出演しないというポリシーを持っていたことに対する説明であったものと考えられます。
もともと東京での仕事には消極的だった上岡さんだったが、1984年に「笑っていいとも!」(フジテレビ)の「テレフォンショッキング」のコーナーに出演し(紹介したのは、かつて漫画トリオを組んでいた横山ノックさん(故人))、1987年には「上岡鶴瓶パペポTV」(読売テレビ)が放送開始、これが翌年から関東地方(日テレ)でも放送されるようになって本格的に東京に進出しました。
1997年、「パペポTV」の正月スペシャルで、芸能界から引退することを表明しました。
2000年4月をもって芸能界を引退した上岡さんにとって、これが事実上最後の東京キー局制作のレギュラー番組となりました。
上岡さんはもともとクイズ番組という企画に乗り気ではなく、わざとつまらなくして3か月でトーク番組に変えさせようともくろんでいたが、想像以上に視聴率が伸びず打ち切りになってしまったと後日語っていました。
同局系の「はなまるマーケット」の「はなまるカフェ」に出演した時には「ぼくが引退を決断したのはQQQのQが終わったときです」と語ったそうです。
1998年10月8日放送回では視聴率が0.9%という、当時最悪😖💦のとんでもない記録をたたき出し、東京スポーツに「現金つかめても視聴率つかめず」と取り上げられました。
平均視聴率は視聴率低迷で6か月で打ち切りとなった前番組の「宮本和知の熱血!昼休み」を下回ったどころか、後番組「マダムんむん」では瞬間視聴率で計測不能(0%)を記録してしまい、この頃のTBS系の月~金曜の午後0時枠はNHK教育テレビを下回るほどの低視聴率地獄に苦しんでいました。
2016年10月にスタートした「クイズ☆スター名鑑」(TBS)も、わずか4か月で打ち切りになってしまいました。
同番組は、2010年8月~2012年3月まで放送された「クイズ☆タレント名鑑」の4年半ぶりの復活版でした。
司会は田村淳さん(ロンドンブーツ1号2号)とフリー転身後初レギュラーとなる枡田絵理奈アナウンサー(元TBSアナウンサー)、回答者は有吉弘行さん、おぎやはぎ、FUJIWARAなどオリジナル版のメンバーが集結し、TBSが“日曜夜7時”のバラエティー激戦区に送り出しました。
前番組でおなじみだったベン・ジョンソンさんや松島トモ子さん、トランプマンなどを起用したクイズや、元光GENJIの4人が集合するクイズなど、ほかのバラエティーとは一線を画する悪意とこだわりが凝縮された企画は熱狂的なファンから熱く支持されるも、視聴率低迷のためあえなく打ち切りに追い込まれました。
最終日は翌2017年1月22日の放送でしたが、テレビ欄に最終回マークは付いていませんでした。
1月22日の放送後、公式サイトで次回放送の日程が告知されず、番組の存続についてファンがSNSで心配の声を上げていたが、2月18日に公式サイトで打ち切りが告知され、結局は最悪の結果になってしまいました。
放送期間は4か月も放送回数は7回と、2か月間の回数にしかなりませんでした。
クイズ番組史上最長の46年も放送された「パネルクイズ アタック25」(朝日放送テレビ)の終了が決まり惜しむ声が上がっていますが、テレビ史にはこんな短命クイズ番組(特番は除く)が存在していたのです。