全員集合とひょうきん族 | 女装男子かなこのブログ

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1970~80年代、時代の最先端を走っていたのはテレビでした。

中でも「ちょっとだけよ~」「カラスの勝手でしょ」やヒゲダンスなど多くのギャグを生み出し、最高視聴率50.5%を記録した「8時だョ!全員集合」(1969~1985年、TBS)は16年続いた人気番組でした。

その大ヒットの秘密は、 なんといってもいかりや長介さんにあるといわれます。

いかりや長介さんは、チャップリンをはじめとした古今東西のお笑いをしっかりと勉強していました。

例えば、テーマが探検隊ならどうかなど、引き出しが大きくてたくさんありました。

演出家といかりやさんとの間には「睨み合い」と呼ばれる儀式がありました。

台本をいかりやさんが読み込む時間のことです。

当時のプロデューサーに言わせると、息も止まるような時間で長い間の沈黙後、出し抜けにいかりやさんが「だめだこりゃ」といって台本を放り投げます。

これでは、プロデューサーもがっくりしてしまいます。

そのため、ストレスで下痢になるディレクターも続出しました。

その後、いかりやさんは窓際にしばらく寝転びます。

寝ているかと思いきや、頭の中でギャグを吟味していたようで、それが終わると「全員集合」と叫び、緊迫した空気に耐えきれずにトランプ等で遊んでいたメンバーを呼び集め、口立てでコントの説明を始めました。

それをスタッフが必死にメモしていくのが恒例でした。

「8時だョ!全員集合」は公開生放送という環境もあって、 リハーサルは本番直前まで行われました。

台本も直せるところは本番直前まで手が入れられました。

時は客の入った後も緞帳の裏でリハーサルを続けることもありました。

そして、本番ではアドリブが禁止されていました。

舞台が倒れたり、金だらいが頭上に落ちてきたりと、体を張ったギャグも少なくなかったが、16年間で大けがをしたメンバーが一人もいなかったのは、入念なリハーサルの賜物でした。

いかりや長介さんの「8時だョ!」の掛け声に子供たちが熱狂するのとは裏腹に、1978年には日本PTA全国協議会がテレビワースト1に選びました。

大人の世界で、子供でも理解できるものを表現してきたことが、良識ある大人から反発されたのでしょう。

ザ・ドリフターズへのリスペクトを公言するお笑い芸人は今も多くいます。

いかりや長介さんの体現したお笑いの精神は、今もなお受け継がれています。

一方、1980年「THE MANZAI」(フジテレビ)にツービートや島田紳助・松本竜介、ザ・ぼんち 、B&Bが出演すると、空前の漫才ブームが起こりました。

翌1981年には、日本中を笑いの渦に巻き込む「オレたちひょうきん族」(1981~1989年、フジテレビ)が始まりました。

それに先立ち、「THE MANZAI」で有名になったツービートや島田紳助・松本竜介らを起用して、お昼の「笑ってる場合ですよ!」が始まりました。

この番組が成功して、プロデューサーの横澤彪氏を筆頭に同じメンバーで「オレたちひょうきん族」を制作することになりました。

当時、土曜夜8時は「8時だョ!全員集合」が圧倒的人気を誇っていました。

対する「オレたちひょうきん族」は、「ドリフを相手にして勝とうなんて思わずに、やるからには価値観だけでも認めてもらいたい」と考えていました。

一見すると豪華なメンバーのようだが、ビートたけしさんも明石家さんまさんも今のようにビッグではありませんでした。

スタッフも、最初は上層部から「番組のメインになる顔が足りない」と忠告されました。

でも、「メインを入れたらその人の番組になってしまう。いずれ番組の顔になっていく才能ある演者とチャレンジしたかった。視聴率が悪ければ辞めればいい」というくらいの勢いで番組が始まりました。

最初は視聴率10%前後だったが、次第に上昇を続けていきました。

「オレたちひょうきん族」が追求したのは、ドリフとは真逆の笑いでした。

「8時間だョ!全員集合」は最後のオチまでシナリオがあり、リハーサルを重ねて失敗できない生放送の本番がありました。

いわば、作り上げていく王道の笑いでした。

それに対し、「オレたちひょうきん族」はVTR収録でアドリブやハプニングを重視した笑いにこだわりました。

またドリフはいかりや長介さん率いるチームだったが、ひょうきん族ではツービートや紳助・竜介もコンビをばらして、それぞれのキャラクターや個性を重視しました。

その結果、ビートたけしさんのタケちゃんマン、明石家さんまさんのブラックデビル、安岡力也さんのホタテマン、島崎俊郎さんのアダモステなどの個性豊かなキャラクターが誕生、「ひょうきん懺悔室」や「ひょうきんベストテン」などの名物コーナーが人気を博しました。