このアニバーサリーイヤーのスペシャル企画第1弾として、4月5日に「今年、番組と同じ年の45歳になる」解答者を集めた「45周年大会」を放送します。
3代目の司会者に就任して5周年を迎えた谷原章介さんが、“番組50年”に向かって意気込みを語りました。
番組が45周年を迎えたことについて、谷原さんは「45年って、僕がまだ2歳の時に始まったんですよね。この長い間、皆さんに愛していただけた事に感謝するとともに、これも番組を築いてきた児玉清さん(初代司会者)、浦川泰幸アナウンサー(2代目司会者)のお陰だと思っています」と、先輩司会者たちに思いを寄せました。
2015年4月から司会を務めている谷原さんが、名刺代わりに使っているものがあるというそうです。
番組が45周年を迎えたことについて、谷原さんは「45年って、僕がまだ2歳の時に始まったんですよね。この長い間、皆さんに愛していただけた事に感謝するとともに、これも番組を築いてきた児玉清さん(初代司会者)、浦川泰幸アナウンサー(2代目司会者)のお陰だと思っています」と、先輩司会者たちに思いを寄せました。
2015年4月から司会を務めている谷原さんが、名刺代わりに使っているものがあるというそうです。
「ある時、解答者の方が千社札のシールを作ってきてくださったのが、とてもうれしかったです。それをきっかけに、今は別のデザインの千社札を作り、出演される方にお配りしています。解答者の緊張をほぐすごあいさつのきっかけとなる、僕なりの『名刺代わり』のアイテムとなっています」と、明かします。
谷原さんが思う番組の魅力は「ずばり、解答者の皆さんです。緊張感でガチガチの方。自信満々の方。笑顔が素敵な方。いろんな方がいらっしゃいますが、面白いもので、一問も答えられていない方に一声かけると急に正解したりするんです。本当にメンタルが大事な番組だと思います」。
番組があと5年続けば、50周年になります。
谷原さんが思う番組の魅力は「ずばり、解答者の皆さんです。緊張感でガチガチの方。自信満々の方。笑顔が素敵な方。いろんな方がいらっしゃいますが、面白いもので、一問も答えられていない方に一声かけると急に正解したりするんです。本当にメンタルが大事な番組だと思います」。
番組があと5年続けば、50周年になります。
谷原さんは「皆様のおかげで45年まで来れましたが、まだまだ通過点。より皆様に愛していただき、50年60年と続けられるよう気を引き締めてスタッフ一丸となって頑張っていきます。まずは50年に、『アターック!』」と、意気込んでいました。
児玉清さん、浦川泰幸アナウンサー、そして谷原章介さんがしっかりとバトンを繋ぎ、番組は45周年を迎えることができました。
児玉清さん、浦川泰幸アナウンサー、そして谷原章介さんがしっかりとバトンを繋ぎ、番組は45周年を迎えることができました。
「アタック25」がここまで長く愛され続けている理由の一つには、秀逸な“ルール”があると思います。
クイズの早押しはもちろん、勝敗が左右されるパネルの取り方、さらに大逆転が可能な“アタックチャンス”など、この30分間には、“勝負の醍醐味”が詰まっています。
クイズに答える楽しさはもちろん、こうしたルールにも注目して、勝負の行方を楽しんでみたいと思います。
番組プロデューサーは「通な楽しみ方として、谷原さんの“アタックチャンス”ポーズに毎回注目するのもおすすめです!」と、拳の震え、力の入り方…毎回少しずつ違うというそうです。
■「アタック25」の歴史
<歴代司会者>
児玉清 1975年4月6日~2011年4月10日
浦川泰幸(朝日放送アナウンサー) 2011年4月17日~2015年3月29日
(児玉清さんが入院したため当初は代打司会だったが、2011年5月16日に児玉清さんが死去、2代目司会者に就任)
谷原章介 2015年4月5日~
谷原章介 2015年4月5日~
(代打司会)板東英二 1984年10月14・28日
(児玉清さんが病気で欠席のため)
<歴代の出題者>
あかはゆき 1975年4月6日~
中村京子 1976年4月4日~
相沢純子 1980年4月6日~
豊島美雪 1984年8月5日~
相馬宏美 1993年10月3日~
沢木美佳子 1999年4月4日~
加藤明子(朝日放送アナウンサー) 2009年4月5日~
角野友紀(元朝日放送アナウンサー) 2013年4月7日~
加藤明子(朝日放送アナウンサー) 2015年4月5日~
<歴代の出題者>
あかはゆき 1975年4月6日~
中村京子 1976年4月4日~
相沢純子 1980年4月6日~
豊島美雪 1984年8月5日~
相馬宏美 1993年10月3日~
沢木美佳子 1999年4月4日~
加藤明子(朝日放送アナウンサー) 2009年4月5日~
角野友紀(元朝日放送アナウンサー) 2013年4月7日~
加藤明子(朝日放送アナウンサー) 2015年4月5日~
番組の誕生のきっかけは1975年4月にあった大阪ネットチェンジ(朝日放送と毎日放送のネット交換)でした。
これにより、同じ時間に放送されていた毎日放送制作の「クイズ・イエスノー」が視聴率低迷もあって終了が決定しました。
しかし、番組スポンサーの東リ(当時は東洋リノリューム)が同じ時間で朝日放送制作、児玉清さん司会の番組継続を要望したことから誕生しました。
児玉清さんは「クイズ・イエスノー」の失敗から、司会を継続することに難色を示したが、東リの要望もあり承諾しました。
放送開始にあたっては、立ち上げスタッフの一人が当時人気のあったオセロゲームに着目。
クイズとオセロゲームの組み合わせという発想が出発点でした。
それからシミュレーションを繰り返して、パネルの枚数は5×5の25枚が最適と決定しました。
企画段階では獲得したパネル枚数とは別に正解数に応じて賞金を出すという案もありましたが、「あくまでパネルの枚数にこだわる」ということで退けられました。
使用するパネルの色には赤・緑・白・青の4色が使われるが、当時は白黒テレビもわずかに残っており、局内やスポンサーから難色を示す声も上がったが、プロデューサーが「近い将来、日本のテレビはすべてカラーテレビになる」と説得しました。
番組のオープニングテーマ曲は山下毅雄さん(故人)の作曲で、「アタック!」のタイトルコールは山下さん本人の声であり、2015年4月にコーラスとアレンジが一新された後も引き続き使用されています。
基本的なルールは以下を除き、ほとんど変わっていません。
オープニングクイズの不正解が1994年頃からペナルティーなしになる。
1995年10月1日放送回より不正解のペナルティー(お立ち)を3問失格から2問失格にする。
放送開始から半年後にアタックチャンスを新設。当初は1問だけだったが、後に正解が出るまで続ける方式に変更。
このアタックチャンスは放送時間が25分から30分に拡大されたため、その5分間を埋めるために、制作会議で当時の番組スタッフの一人、放送作家の山口牧生さん(問題作成担当、現在も問題アドバイザーとして番組スタッフ)が「クイズに正解したら、他の人のパネルを1枚消すようにしたら面白いんではないか?」と発案しました。
賞金を増額。
現在の賞金額はパーフェクトは100万円であるが、通常のパネル1枚あたりの賞金額は不明。
最後の海外旅行クイズの正解者の行き先を変更。
番組開始から長らく「エールフランスで行くパリ」が番組の代名詞的な賞品でしたが、アメリカ、ヨーロッパ各国、地中海クルーズを経て2019年4月よりハワイとなっています。
いずれにせよ、「あこがれの」という言葉にふさわしい、豪華な旅です。
1997年4月には「アップダウンクイズ」(毎日放送)「連想ゲーム」(NHK)の22年を抜き、全国ネットのクイズ番組の最長寿記録を更新、さらに2012年6月にはローカル番組を含む最長寿記録だった「天才クイズ」(CBC、愛知・岐阜・三重の3県ローカル)の37年2か月を抜き、クイズ番組の完全最長寿記録を更新しました。
1995年からパネルの戦況はスタジオのパネルボードからCGの映像に変わりました。
同時に最後の海外旅行クイズも、スタジオのパネルボードと問題のVTR映像のクロマキー合成からCGに変わりました。
その際、クロマキー合成の色に紫が使われていたため、パネルの数字の色も紫だったので、残った別の色のパネルの数字の部分から問題の映像が透けて見えていました。
2001年から解答者席のパネル枚数表示がドットマトリックス(豆電球💡)から液晶ディスプレイに変わりました。
パネルボードの光源は蛍光管を使用していたが、2007年から2009年にかけて改修され、LEDになりました。
2012年4月にスタジオセットが大幅にリニューアルされ、解答者席の後方に大型液晶ディスプレイが設置され、解答者席の後方にあった応援席が解答者席の正面に移りました。
番組開始当初から使用していたパネルボードも引き続き使用され、番組では写ることがないがスタジオの解答者はパネル状況を確認するのに使用しています。
全25枚のパネル獲得のパーフェクトはこれまで13回達成されており、
☆司会者別
児玉清さん 12回
浦川泰幸アナウンサー なし
谷原章介さん 1回
☆パネルの色別
赤 2回
緑 5回
白 5回
青 1回
☆男女別
男性 8人
女性 4人
夫婦ペア 1組
☆海外旅行クイズの正解別
正解 9回
不正解 4回
です。
全体的に視聴者参加番組が少なくなる中、現在全国ネットでレギュラー放送されている視聴者参加のクイズ番組は「アタック25」の他は「超逆境クイズバトル99人の壁」(フジテレビ)だけです。